たちこめる、さみしい気持ち
大好きな友人たちが、1人、また1人と伊都を離れていく。それがすごく寂しい。
気軽にふらっと飲みにいったりとかはしない生活だったけど、知り合いが近くにいるというだけで、なんだか落ち着いていたわたしもいた。
高校生から大学生になるときは、そんなに仲がいい友達とも離れることに抵抗はなくて、「またすぐ会えるでしょう」みたいな感覚でいた。実際、引っ越したと言っても隣同士の県だし、新幹線を使えばすぐにでも会いに行ける人の方が多かった。
あとは、大学生になってでも会いたいほど仲がいい友達はほとんどいなかった。
でも、今は違う。コロナ禍もあって、「またすぐ会える」がいつになるのかわからない。幸いにも、わたしは来年度以降も大学にはいるので、多少は時間の融通は聞く。でも、相手はそうとは限らない。
そう考えたときに、「次いつ会えるんだろ?」と考えると、やはり寂しい気持ちになる。
そして、また嫌なくらい周りが見えてしまう。
わたしは何も先に進んでいないのではないか。
夏に院試を受け、就活をしなかったときにも思っていたことだ。
周りは就活をし、4月からは社会人として大人の階段を登る。
でも、わたしは、大学に残る。
所属と在籍キャンパスが変わるだけで、家もその他の環境もさほど変わらない。
すべて自分の意思で決めたし、その道を掴み取ったとて、やはりわたしは就活から逃げてしまったのではないか、と思っている部分もある。
そのくらい、自分は社会に揉まれて生きていく自信がなかった。
いまでも、あんまり自信はないけど。
でも、寂しがっていても、わたしはわたし。
ひとのものさしではなく、自分のものさしで。
みんなそれぞれの道に進むし、わたしも進む。
きっと大丈夫。
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