見出し画像

相手の気持ちを想像するためには、経験を積むしかないのかと思ったはなし

私はとにかく、子供が欲しかった。

その理由は、自分の子供を抱きたいという気持ちだけではなく、世間的な目もあったと思う。

結婚前から妊活を進めていたが、思うようにいかなかった。

まだ子供ができなかった頃、私の周囲には、子供の写真を送ってくる人がたくさんいた。もちろん、彼女たちに悪気はないし、それは私に心を開いている証拠だったのだと思う。

それでも、私は正直その人たちが送りつけてきた写真を見るのが嫌だったのである。

素直にそう言えばよかった話かもしれないが、喜んで子供の写真を送ってくる人に悪い態度など取れる訳がない。


かわいいね
素敵な子だね!
賢そう!

とにかく、見つけられる褒めポイントを見つけては次から次へと褒めていった。親からすれば、自分より子供を褒められるのが最高の喜びだと私なら思うからだ。

でも、それと同時に「何故、子供のいない私にこの写真を送りつけてくるのか。嫌がらせなのか」と思ってしまう黒い自分もいた。

もちろん、そんな訳ではなく、写真を送ってくれる方は好意的な気持ちで子供の写真を送ってくれていたのだと思う。

わかってる。わかっているのに、なぜ黒い感情が湧き上がってくるのだろうと、自分の性格の悪さを呪った。

ある日、リア友とお茶した時に「不妊治療をした方がいい」とハッキリ言われ、その時に私は治療をする決意をした。

やるだけやったら、たとえダメでも自分の中で納得できるし、本当の意味で諦められるだろうと。そして、そうすれば私の中の黒い感情からも解放されるのではないかと。私は、とにかく黒い感情から解放されたかった。一刻も早く。

ちょうどその頃、数人から「養子縁組はどうか」という話もあり、それも同時に検討しようとした。

が、私をリアルによく知る人物から「あなたにその器はない」と否定され、さらには親にも反対されて結局、見送ることになった。

もちろん、養子縁組は大変素晴らしい制度ではあるし、これからも私は普及して欲しいし、その制度によってどんどん色んな子供が救われて欲しい。

ただ、この制度はあくまで子供を守るための制度であり、妊活や不妊治療が上手くいかないからと進めるものではないというものであることも、同時に理解されて欲しいと思う。

そして、子供が欲しい人のなかには、自分の子じゃなければダメと考えている人も少なくない上に、かなりデリケートな問題なので第三者から口出しすべきものではないということも、私はその頃の自身による感情を通じて理解できた。

不妊治療は幸いにも一回で上手くいき、今はもうすぐ一歳半になる娘がいる。今でも小さい悩みは色々あるけど、毎日とても充実しているし、幸せだ。

そもそも、子供がいてもいなくても、惨めだとか、悲しいとか思う必要はないし、もしそうなれば夫婦の時間を大切にしたり、自分の人生を堂々と進めば良い。

でも、あの頃の私は、そのようにどうしても思えなかった。理由はわからないが、子供のいる女性の表情がみな幸せで、満たされているように私が勝手に解釈していたのだろうと、今は思う。

「隣の芝生は、青く見える」という言葉がある。人は自分にないものを持っている人間を、よく見えてしまうものだ。

今では、とくに欲しいものも、なりたいものもすっかりなくなってしまった。

ただ、たまにveryを立ち読みして「エルメスのバーキンいいな」とか、「マックスマーラのテディベアコート 可愛いなー」と思うこともあるので物欲が全くなくなった訳ではないが、なんとなく思ってるだけなので、おそらくその気持ちもそのうち消え失せそう。

とくに娘ができてから、こうしたいとか、ああしなきゃとか、誰かを羨ましいと思うことすら、すっかりなくなってしまった。別にライターとして売れたいみたいなのもなくなっちゃって、はじめた頃の承認欲求どこいっちゃったのみたいな感じ。

娘のいる自分にすっかり満足してしまい、現状維持をしようとばかり考えてしまう。よく、幸せを掴んですっかり面白さが半減する芸人さんとかいるけど、私も似たような感じなのだろうか。

本当に、このままで良いのだろうか。
私はどんどんつまらなくなっていないだろうか。ライターとして、つまらない人になっていないか。

いや、そもそもライターって調べて書く仕事だから、記名で面白おかしく体験談を書く人や、コラムニスト的な仕事をする人でもない限り、本人が面白くなる必要はないんだけども。

子供ができて、日常的な幸せを感じたら、今度は別の不安に襲われる。

その時、ふと自分の子供を褒めてもらいたいと誰かに写真を送りたくなる人の気持ちをやっと理解できた。

もしかしたら、頑張って育てた子を見てもらい、褒めてもらうことで自分を肯定できるんじゃないかって。そう思ったんじゃないだろうか?

人は、自分がその立場にならないと本当の意味で相手の気持ちなど理解できないものだ。

今は多様性の時代とか、生きづらさとか、寄り添えとか、人の気持ちを想像しろなど色々あるけど、人の気持ちを想像できるのは、その人と同じ経験や同じような思いをした人しか難しいんじゃないんだろうか。








この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?