掃除を運動と考える。(仮)
掃除ってやってもやっても終わらないのは、なぜだ。
これだから掃除には”気合い”が必要で、溜めに溜めては嫌になってしまう。
掃除が得意な人は溜める前にすぐやる人達で、女子力高めな友人に相談してみると、
「気がついたらやってるよー」
なんて返事が返ってくるもんだから、何の参考にもならなかった。
わたしなんて気づいたら、食べてるか、ベッドインしてるか、Youtube見てるか、本読んでるか、生活の為の時間なんて24時間の中に用意しておらず、自由時間は全て欲望の赴くままに使っていた。
こんまりさんの動画を見たり、本を読むと満足し「ときめくかどうかかー」と理解できたところで、また次の本に移ってしまうもんだから、部屋には本が溢れかえり、知識を得る度にまた部屋が散らかる。わたしの思考は部屋と同じで散乱しまくっている。
「このままじゃダメだ!!!」
何がダメかって、大人になるとどんな生活をしてるかどうかが見た目に現れてしまうからだ。ちゃんと肌を手入れしている人はいつもツヤツヤの肌で、定期的に美容院に行きツヤツヤな髪をなびかせ、潤いはいつだって美人オーラを放つ。
「このまま枯れていくなんてダメだ。絶対ダメなんだ。」いくら化粧で誤魔化せたって、肌だけは誤魔化せない。雑誌なんかで「肌は私の名刺です。」なんてフレーズを目にする度に、こんなこと言うんじゃないよ。という気持ちになっていた。
ならば、どうすれば掃除が出来るようになるのか、わたしなりの法則を見つけなければならない。散らかった部屋にいるデメリットといえば、いつも部屋が散らかっているときは、心も乱れている。わたしの唯一のルーティーンは3年日記を書くことだけだが、それすら怠ってしまっている。
そして、忘れ物が日に日に増えていくのだ。携帯を忘れるようになったところで、「これはまずい...」と掃除に気が向くのが、定期的なパターンだった。
だからわたしは”掃除”という名前を一旦忘れ、”運動”と定義しこれからの人生生きてみようと思う。体を動かすということを目的に掃除をするのだ。”掃除”と思うと気が重くなるけど、”運動”と考えると気分が晴れ晴れする。そして、止まることなく動き続けられる気がしてきた。
そんな決意をした土曜の昼下がり、磨いたピカピカの床に寝転がり、気づくと夜になっていたのであった。
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