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漂流(第二章③)

第二章

3.
「早川君、ちょっと所長室まで来て貰えるか?」
その朝、所長の秋山から呼び出しを受けた。珍しく深刻そうな声だ。何か都合の悪い事が起きたのかもしれない。
「所長、お呼びでしょうか?」
全く想像もつかないまま、室内へ入る。正面のデスクには秋山が座っている。そして横の応接セットには、見知らぬ二人の人物の姿が見えた。
「こちらクライアントの方々だ。」
「早川聡子です。」
私は名乗りながら頭を下げた。
「先程の要件を、彼女にも説明して頂けますか?」
秋山がデスクから応接セットへ移りながら、やや早口でそう促した。目では私に隣へ座るよう合図する。客人と私達は向かい合う形になる。
一人はやや年嵩で五十代といったところか?もう一人はまだ若い。こちらは女性だ。私と同じくらいか?幾分年下かもしれない。年嵩の男がやや項垂れながら、ゆっくりと話し出した。
「実は弊社の社員を弁護して頂きたいのです。」
単刀直入だが、それだけでは全く分からない。首を傾げ、次を促す。
「弊社は建築や土木を一括して請け負っている会社です。全国各地で様々な作業現場を管理しています。その中で私は北海道N市で現場責任者を務める、佐々木と申します。地名を聞いて胸がチリリと傷んだ。
実はその作業現場で事件が起きまして……。」
そこまで言ってから、佐々木は少し言い淀んだ。そして決心する様にもう一度話を続けた。
「作業員同士のいざこざからその一人が亡くなってしまいました。」
年嵩の男が沈痛な表情を浮かべる。
「理由は何です?」
男が続けた。殺された男は日頃から勤務態度が悪く、手に余っていた。ある日、毎日昼を届けてくれる弁当屋の娘さんを乱暴しようとした。止めに入った社員がやり過ぎてしまい、事件は起きた…
俯いていた女が弾かれる様に顔を上げる。初めての反応だ。
「なるほど。正当防衛、過剰防衛が認められるか?そこが争点ですかね。」
別に珍しくもない。よくある喧嘩の延長線上。何度も経験している。秋山がなぜ私を呼んだか分からない。
「分かりました。少しこの早川と検討させてください。」

「所長、この案件どうして私に?」
クライアントが帰ってから、私は率直な疑問を彼に投げ掛けた。
秋山は暫く黙っていたが、やがて静かに語り出した。
「それがな。本人は殺意を持って殺したと言っているそうなんだ。争う気もなく厳罰に処して欲しいと……。」
ここまで聞いても、何故自分に話が来たのか分からない。事態を把握しきれないでいる私に、秋山は止めを刺すように、しかし静かに言った。
「現場は北海道N市。容疑者は……あの光男君だ。」
私の脳内は、急激に巻き戻されていった……。

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