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漂流(第三章⑨)

第三章

9.
あの日、秋山から真実を聞いた日から、聡子の心はそれまで以上に凍り付いていった。司法試験、その後の弁護士としての仕事も全く心の通わないものとなった。父の嘆願。秋山から聞いた真実。光男との決別。繋がる様で繋がらない。いや、所詮15歳の聡子にはどうする事も出来なかった現実。そんな諦念が聡子を自暴自棄にさせた。それでも光男と再会し、ほんの少しでも償いが出来たかと思っていた矢先の光男の失踪……私はいつも不本意な場所に立っている。そんな思いがふと胸を過ぎった。
美代子に光男の事は任せろと言ったものの、出来る事は限られている。恐らく光男は既に父・慎太郎に接触している。父がそこで光男に何を言うか?父の現状、性格を考えると、かなりの確率で真実を話すだろう。そうすれば光男は……。想像し得る限り最悪のシナリオが浮ぶ。それを防げるのは私しかいない。固い決意を胸に、聡子はN市の事務所を後にした。

久し振りの休日を、秋山は別荘で過ごしていた。弁護士として、いやそれ以外の人には言えない数々の所業を、一人漫然と振り返っていた。自分は碌な死に方はしないだろう。それはもう覚悟していた。好きに生きてきたのだから当然だ。しかし、一つだけ後悔している事がある。聡子の事だ。様々な事情から仕方がなかったと思いはする。ただそれでもやはり巻き込みたくはなかった。そんな負い目から仕事の世話までしてしまった。本来であれば表向き関わってはいけない相手。分かってはいても自制する事は出来なかった。子供のいなかった秋山にとって聡子は、娘の様な存在でもあったのだ。北村光男の事もそうだ。あの事件の依頼があった時、本来であれば断るべきだった。しかし危険を犯してまで引き受けたのは、聡子に人生の挽回をさせてあげたい。そんな思いがあったのは否めない。そして自らの贖罪としての意味も。あの事故が無かったら……。何度そう考えただろう?真実を語る事が出来ない自分の境遇を呪った。
突然、玄関のベルが鳴った。誰だろう?この場所を知っている人間はほとんどいない。一瞬、“公安”の二文字が浮んだ。いや、それは無い。それならご丁寧に呼び鈴など鳴らさない。この辺りは別荘だが民家に近い。町内会とか、そんな類だろうか?ドアスコープから外を覗く。何だお前か。でも何でここを知っているのか?そんな疑問と共に秋山は訪問客を迎え入れた。妙に騒がしい蝉の鳴き声と共に……。


第三章⑩に続く

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