第十八章 順徳院の独白 つづき

「守親をよべ、二人だけにしてくれないか。」

いつものように庵に朝餉を届けた近侍は、かしこまってさがった。ほどなく、守親が現れる。ここに来たときは、まだ若侍だったのが、いまでは、堂々とした近習である。

「そなたが、関白九条道家から遣わされたときから、鎌倉方のものだとわかっていた。流された上皇が、勝手な真似をしないように、身辺警護と、見張りを兼ねてそなたを送ってきたはず。」

いつに似合わぬ、厳しい物言いに、守親は、たじろぎ、何か言葉を発しようとして、できずにいる。

「わかっている、何も言うな。わが子、忠成は、佐渡で授かった皇子。もう帝の位につくことはない。わたしが京に戻れるという希望もなくなった。ここで静かに死のうと思う。その前に、そなたに願いがある。聞いてくれるか。」

守親は、黙ってうなづく。

「わたしが亡くなった後、遺されたものどものことだ。女房たちは、みな京に帰っていくだろう。気がかりなのは、佐渡で暮らす子どもたちだ。忠子女王は、わずか十七歳。わたしが、幼い頃より手ほどきしたせいか、歌詠みの才がある。このまま、ここに埋もれさせるのは惜しい。そこで、そなたに折り入って頼みがある。忠子を連れて、京に上ってくれ。無理は承知だ。女院さまから遣わされた女官のひとりです、といって、お前が連れて行けば、できるはず。女院さま宛の書状はここに認めてある。女院さまに会って、渡してほしい。」

いつにない、強引な順徳院の願いは、不思議と拒めないものがあった。守親は、その書状を押し戴き、胸元にしまった。

「ご安心ください。命に代えて、女王さまをお守りし、京に連れて参ります。」

その日から、わたしは食を絶ち、九月九日に死ぬことだけを願った。側近のものどもは、わたしの決意を知らず、修行の厳しさを非難したりもする。死ぬことは自分が選んだ道、だれにも止められぬ。

九月九日は、過ぎてしまった。庵の扉を閉ざし、香を焚き、祈り続ける。扉の外では、上北面左衛門大夫藤原康光が、同じように読経している。庵のまわりには、一匹のむじなが守るように控えていた。その隣には、いつしか一匹の狐も従っている。佐渡には狐はいないはずであるが、二匹は、狛犬のように、庵の前に並んでいる。読経の音が途絶えると、二匹は不安そうに振り返る。森の中から、リス、ウサギ、テンなど、獣どもが現れ、庵のまわりを取り囲むようにして待つ。さながら釈迦入滅のようであった。

順徳院が崩御の知らせは、京にいる女院のもとにも届いた。

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