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通り過ぎてきたものは心礎(しんそ)となる。

1週間ほど前に
高校時代の野球部同期会へ行ってきました。

約5年ぶりの再会で
あっという間のひと時でした。

今週は、私の中で
その時の皆の話を思い出しながら
色々と思いを巡らす時間が多かったです。

それを踏まえて
ひとつ、心の中で纏まったことがあるので
書いていきますね。

いしずえ

いしずえとは、物事の土台や基礎をさす言葉です。

土台なので
普段は表立って見えることはないのですが
あらゆる意味で基礎となっているものです。

礎石そせきについて
すごくわかりやすいページがあったので
リンクを貼らせていただきます↓

いしずえって、色々喩えられますよね。
人生の礎とか、心の礎とか…。

建物のことを人になぞらえて理解すること自体が
よくある事かもしれないですね。

基礎や土台が大切なのは
建物も人間も同じだといえます。
どんなに周りを取り繕っても
土台や柱が虫食っていたら元も子もありません。

日頃見えない部分だと言えるのに
どんな場面においても根っことして
たしかに存在するのが、礎です。

心礎しんそ

仏塔などの中心柱の礎石のことを
心礎しんそといいます。

私は、この言葉を知ってから
自分が咀嚼してきた過去たちは
心根を支える心礎しんそになるんじゃないかと
感じています。

【こころ-ね 心根】
心の奥底。本当の心。真情。本性。

デジタル大辞泉

誰しもどんな行いにおいても
本性が見え隠れするものです。

場面によっては
人に読まれたくないような
お恥ずかしい部分かも知れない本性ですが
必ず自分の奥に存在しているので
行動や言動の節々に感じられます。

心根・心礎は
どうやって出来上がっているのかと考えたら
やはり
自分が通ってきたもの達から出来ていて
どのように咀嚼したのか、が
大きな要素だと私は思うんです。

この木なんの木、気になる木♪
見たこともない木ですから♪
見たこともない 花が咲くでしょう♪

あとがき

何故、私がこのような記事を書いたか
ということに少し触れます。

高校時代に
とても優しくてポジティブで
周りを楽しい空気にするのが上手いという
印象だった部員が
先日、身の上話を聞いていたら
彼らしくない状態になっていたのです。

今はいろんなものと戦っている最中なのだなと
理解しました。

戦っている最中は
出来事に対してまだ咀嚼できていないから
苦しいと感じる事ばかりだと思います。

でも、いつかきっと
本来ある彼の心礎が苦しい今を
咀嚼してくれるだろうと信じています。

誰しもがそうやって
何かにつけて
本来ある根っこが頼りない自分を
支えてくれるのかもしれません。

向き合えば向き合っただけ
何かの答えは生まれる筈ですよね。
答えが出ないという答えかもしれないけれど。

解散する時に、彼が
「少しスッキリしたわ!
聞いてくれてありがとう!!」
と言っていたので
とても意味のある時間だったなぁと
心から思ったのでした。

あの頃とは違う距離で見守っているよ🕊𓈒 𓂂𓏸

とりとめのない記事だったかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございます。
ではまたね。

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