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ゆぴの10分日記

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帰り道の10分間で書く独り言のような日記。よわっちくても生きてるだけでえらいえらい!
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#フリーランス

自信がないあなたへ何度でも言う、『あなたはすごい』

最近周りの友達がバタバタと闇落ちしている。 いや、闇落ちという言い方は正しくないな。仕事に疲れて心を病んでしまっている。 それで、あまりにもひどいので 『早くエスケープしなよ…!』 と言うんだけど、テコでも動かないんだこれが。 なんでかと言うと、大体鬱になってしまう人は、『完璧主義』な人が多く、完璧な理想の自分と現実の自分の乖離が許せなくてもがいているうちにだんだん病んでしまうそう。 自分はもっとできるはずだ、自分なんかが鬱になるはずがない、って更にがんばってし

自分の幸福度アップ条件をリストアップしてみた

今日は書籍の執筆を進めて、最近お手伝いしているクライアントとミーティングをして、歯医者に行って、ふと見上げた空が綺麗で、なんか幸せだな〜と思った。 だから、改めていまの自分の幸せに必要なものについて考えてみることにする。 「自分いま、幸せかな?」って迷ったときに見直したい。そんなリストを作りました。 仕事の幸福度アップ条件・自分にしかできない仕事をしていること ・書くことにまつわる仕事をしていること ・対人ストレスがないこと ・好きだと思える人と働けてること ・自分の納

いきなりかかってくる電話が死ぬほど苦手なんだが????

ここ2〜3年ぐらい、電話に出ていない。 その理由は3つある。ひとつめは、心の準備をする余裕がないから。 そもそも人と話すためには心の準備が必要なので、いきなり電話がかかってくると、びっくりしすぎて反射的に電源ボタンを連打してしまう。 連打してから一息ついて、LINEで「えっ、なに!?」と送る。あまりにも電話に出なさすぎて母に怒られたけど、なんか怖くて出られないのである。 これがヤマトや佐川急便なら、「なんかお届けものかな?」と予想して出ることができるのだが、仕事相手と

なぜ東京にいると仕事に忙殺されてしまうのか

たぶんね、全部「YES!」って言えちゃうからだと思う。 海外で2ヶ月ほど過ごしていたとき、泣く泣く断る仕事や飲み会の誘いがいっぱいあった。もちろん、何か大切なチャンスは確実に逃しているのは重々承知のうえで言うけど、一応今のわたしはそれでも生きている。 「得られるかもしれなかった何か」というのは不確かなもので、それを悔やんでいても仕方がない。運が悪かった。タイミングが悪かった。そんな感じの言葉で片付けてしまっていいと思う。 今日から関西で1週間ほどワーケーションをするのだ

たとえば、ぬるい幸せがだらっと続いていく日々に

今日は、なーんも有益なこと書きたくないし、読者のことなんてなーんも考えたくないし、わたしのためのどうでもいい日記を書くんだぞーという気分で筆を取ってみる。筆っつーかフリック入力だけどな。まぁええんやで。 どうやらやっと冬が来たらしく、日の落ちるスピードが異常なほどに感じる。友だちとちょっと遅めのランチをして外に出たら、もはや夕焼けでもなく夜空が広がっていてびっくりした。 最近のわたしは目の前の楽しそうなことにパッと飛びついて、その隙間にやるべきことをやっている。そんな感じ

仕事をやりたくなさすぎて泣いちゃった話

今日はすこぶる調子が悪くて、朝からお腹は痛いわ頭は痛いわ〜もうどうしましょ〜という感じだったのだけど、朝10時に起きて、16時近くまでぶっ続けでお仕事を頑張っていた。 けど!!!! そのなかでどうしてもやりたくない仕事というか、明らかに「向いていない」仕事があって、それが終わった瞬間に、「やっぱりできない!!」と何かが爆発してボロボロ泣いた。 ここでいう「仕事」というのは、たとえば「ライターの仕事」という大きな括りではなく、「ライターの仕事」のなかの「書き起こし」とか「

北欧、幸福度が高すぎる

夏の北欧の好きなところ。 自然と利便性がうまく調和しているところ。 歴史的建築物が建ち並ぶなかに、トラムやメトロが走っている。少し歩けば世界遺産や博物館。 景観を損ねないようにしながら、便利な世界観を実現している。歩いているだけで楽しい場所。 みんなが昼間からお酒を飲んでいるところ。 ホリデーシーズンには、4週間もの夏休みが与えられるらしく、平日の昼間からみんなお酒を飲んでいる。 お店のテラス。港。芝生の上。思い思いの場所で。特に何をしているわけでもなく、ただ話し

「ないものねだり」な人が目を向けるべきもの

わたしは愚痴愚痴Twitterが好きではないので、表向きにはポジティブな発信しかしない。 「本が出たよーーーー」 「登壇するよーーー」 「海外でワーケーションしてるよーー」 「こんな記事を書いたよーーー」 で、そうしているとやっぱり、羨ましがられたり、「いいな」と思われることもある。 それは悪いことではないのだけど、わたしにしてみれば、「あなただって、わたしにないもの持ってるじゃん!」とも思ってしまう。 それは、平和な暮らしだったり、素敵なパートナーだったり、かわいい

「注目されたいけど、誰も見ないでほしい!」という謎感情

わたしは多分、発信者に向いている。だって、発信をするのが嫌いじゃない。 それは、ブログに初めて触った14歳のころから薄々感じていた。 別に金銭なんぞ発生しなくても、「これ、めっちゃいい!」と思ったら写真を撮りたくなるし、記事を書きたくなるし、ツイートをしたくなる。 いかんせんわたしは書くことぐらいしか能がないので、自分が日々感じたことを言葉にして表に出したり、必要であれば顔出しもしたり、本の販促のためなら人前で喋ることも厭わない。 人の子なのでそれなりに承認欲求もある

わたしたちはまだ「途中」にいることを思い出すのだ

わたしも人間なので、毎日感情がジェットコースターのようにぐるぐるしている。 最近はフツーに起きて、フツーに仕事して、フツーに友だちと遊んで、と変わりなく過ごしているけれど、そのなかでさり気なく自分に絶望することはもちろんある。 たとえば、まわりの友だちが新しいチャレンジをしていたり、ライフステージを変化させているのを目の当たりにしたときなんかは、「あれ、もしかしてわたし、遅れてる?」と歩みの遅さに不安になる。 シゴデキな人の仕事っぷりを見ながら、相も変わらずワタワタと準

自己肯定感が下がりそうになったら

先日、以前ライティングを教えたことのある生徒さんが「自己肯定感が地に落ちている」と言っていたので、わたしが普段やっていることを書いてみる。 基本的に、みんなやる気のあるときは意識高い系ツイッタラーをフォローして刺激を受けたりなどするけれど、これが自己肯定感が下がりまくっているときに見ると、ただの毒にしか見えなくなってしまう。 だから、わたしは自己肯定感が下がっているときは、そういう呟きを見ないように、アカウントを変えている。 ここらへん、マジで根暗だとは思うのだが、わた

どうしたらみんながしんどい仕事に身を捧げなくなるのか、真剣に考えてる

やばいやばい。わたしの大事な友だちが最近とても疲れている。 会社が人手不足で業務過多、辞める人も多くてその穴をうめるために皺寄せが来ているそうな。おまけに上司に相談したら「休日出勤して遅れてるぶんを取り戻そう!」なんて言われる始末。 人手不足なのは、採用に失敗しているのは、離職率が高いのは、友だちのせいじゃない。何も「仕方なく」ない。 実際に、今のわたしはライターに指示出しをするポジションでもあるので、「今月忙しくて…」と言われたら「じゃあ〆切遅らせようかー」とか「じゃ

自分のこと愛したくてがんばってる

2月に入ってから、昼夜逆転して「4時寝15時起き」という絶望的な生活リズムになった。 1〜2日ぐらいならまだしも、それを6日間連続でやってしまい、うまく活動できない日々が続いた。なんせ目覚めたら時計の針が「3」を指しているものだから、「あーあ、今日も終わっちゃったな〜」という気持ちが積み重なっていく。 のそりと起き、昼食なんだか夕食なんだかわからない、納豆ごはんと味噌汁を腹に入れ、パジャマのままYouTubeを観たりしていると、あっという間に夕食の時間となる。 「えっも

やっぱりみんな、ちゃんと、ひっそり見ている

わたしは、大学時代の友人とめちゃくちゃ疎遠だった時期がある。 それは広告代理店に転職してあくせく働いていたときなのだけど、定時に帰れることなどほとんどなかったので、あらゆる誘いを断っていたら、いつしか誘われなくなりまして。 どうせ誘われても行けないし、しゃーないしゃーないと諦めているうちにコロナ禍になって、ますます会えなくなっていって…という事態に。 そこから、ちょっとずつ「久しぶり」な友だちに会うようになってきて、最近は本当に久しぶりにバンドサークルの人たちと旅行に行