私のSEO対策は、愛を持って書くこと
3年前に立ち上げた日記のようなサイトがある。
それは、完全に趣味でずっと更新していて、毎日更新をする、とか、丁寧にサイト設計をする、とか考えずに、ただただ自分の好きなようにやっていた。
わたしはそのサイトが好きだった。
写真素材を一切使わず、自分の撮った写真だけで作って、そこまで得意じゃないHTMLとCSSをいじってカスタマイズして、愛を持って運営していた。
そのうち、「このお店を紹介してほしい」みたいなメールが来るようになった。
わたしは、自分がいいと思うお店だけを紹介したいので断った。
そんなふうにして、ずっと運営していた。好きなときに好きなものを書くスタイルだ。
先日、スゴ腕のサイト運営者たちが集う合宿に一般人枠で参加することになった。
そのときはじめて、そのサイトを見てもらった。
分析してもらうと、Googleさんにかなり好かれていることがわかって、私もびっくりした。
「このワードで取れてるよ」と言われて、「そうなんだー」と思った。なんせ、何も分析してない、60記事くらいしかない、リライトもしていないようなサイトである。
SEOの知識もあんまりない(そこは勉強しろやという話だけど)し、むしろタイトルもキーワードを入れずになんか変なのつけてやろう、ぐらいの気持ちで書いていた。
そんなど素人のサイトが読んでもらえている理由をど素人なりに考えてみると、お金目的じゃなく、読者のことしか考えてないからなのかもしれない。
読者に知り合いはいないけれど、読者の顔がなんとなく見えていた。
お金がたくさんもらえても、行ってもないお店について書くのは嫌だったし、変なリンクを貼りたくなかった。
その代わり、楽しんで読んでもらえるような記事を作りたかったから、いつも5時間くらい書けて丁寧に写真を撮り、丁寧に書いていた。
いつも思うけれど、文章には2パターンあって、それは自分のための文章か、誰かのための文章だと思っている。
コミュニケーションは、文章で取れるのだ。
結構長くアメブロをやっていたせいか、「みんな、やっほー!」というスタンスで文章を書くようになっていた。
がんばって書いたから読めや!! ではなく、みんなに読んでもらえたら嬉しいな!!の気持ち。
それが、私にとってのSEO対策だったんだと思う。
ツイッターもnoteも同じで、いつもフォロワーの顔を見ながらフォロワーに向かって書いている。
そこにあるのは、愛だ。
こんなにも書き手がいる世界のなかで、見つけてもらえて、読んでもらえるだけで奇跡だから、ありがとう、という気持ちしかない。
文章は、一方通行のように見えるけれど、何もコメントがなかったとしても、きっと誰かに届いてる。きっと誰かが読んでいる。
なら、貴重な時間を自分のために割いてくれた人に、わたしは話しかけるように書き続けたい。
そうやって、愛を持ってやれば、がむしゃらに100本記事を更新しなくても、テクニックに頼らなくても、読まれるサイトになるのかもしれないね。
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