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優しくて悔しい

天使のような子に出会った。

明るくて、優しくて、お花みたいで、そこにいるだけでパァッとあたりが照らされるような。

目をしっかり見て話を聞いてくれて、たくさん私のことやまわりの人のことを褒めていて、なんて心が美しくて素敵な子なんだろうと感動した。

きっとこの子は、今までもクラスのムードメーカー的存在で、キラキラした毎日を送ってきたんだろうなぁ、なんて思っていた。

それなのに、隣に座って、1時間じっくり話してみると、

小、中、高、大と、ずっといじめのようなことを受けていたと聞いて愕然とした。

部活で妬みから先輩に「抜かしたら許さない」と言われ、わざと手を抜いてプレイをしたり、それで顧問に怒られても、何かあったの?と聞かれても、告げ口になるのは嫌だからごまかし続けたこと。後輩よりも率先して掃除や下っ端の仕事をやり続けたこと。基本的にお願いをされたら全部代わってきたこと。誰も信じられなくて相談できずに最後は体調を崩してしまったこと。

彼女いわく、目の前の人が困っていたら、たとえそのあと裏切られたとしても、「いいよ、私がやるよ」と言ってしまうそう。

困ったときの、◯◯ちゃん。

そう言われてた、なんて話す彼女を見ていたら、何だか泣けてきてしまった。

なんだこのクソみたいな世界。

優しい人に1番優しくない。明らかに設計ミスじゃんね。

そして、優しくされた人は、優しくされたことも忘れて普通に裏切っていく。

話を聞きながら、どうしようもないけれどどうしたらいいんだろう、と考えていた。

前にも、「優しい人は搾取されるから、搾取されても良いと思える人にだけ優しくすれば、結果的にそれは搾取にならないんじゃないか」というnoteを書いたことがあるくらい、わたしは「優しさ」について考えてしまう。

それはたぶん、自分に通ずるものがあるからなのだと思う。

「いいよやるよ」
「代わろうか?」
「大丈夫だよ」

何回言ったかわからない。

本心なのかもわからない。

言ったあとで後悔もする。でもいっか、どうせわたしにできることなんてこのくらいなんだし。

なんだかんだ、自分は「優しい人」でありたいと思ってしまうし、誰かが担わなきゃならない「優しい人」ポジションを担っているからこそ世界がうまくまわっているのも確かなのだ。

それでも、最後に、「隣に座ってくれてありがとう」と言って去っていった彼女の後ろ姿を見ながら切なくなった。やっぱりどうしようもなく優しい。

優しくて悔しい。

話し終えてから、しばらく理不尽すぎる世界のことをぐるぐると考えてしまった。

どうしようもできないんだけど、なんか、なんかさ。

彼女がいつか報われるといいな。そしてわたしも。そしてみんなも。

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