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「あっち側」「こっち側」

ここのところ「死」について考える機会が多かった。
初めて死を意識したのは4歳くらいだったかな。幼稚園の通園バス停に毎朝ふらっと現れていたおじいちゃん。少し認知が入っていたのかな。絡んできて怖かったのを覚えている。そのおじいちゃんが亡くなったと聞いた時は毎晩夢に出てきて夜泣きしていた。
そこからずーっと常に「死んだら…」いう言葉が頭に留まり、こんなに長く変わらず居座られるとは思わなかった。
きっと私は最後を迎えるまでこのままなんだろうなと思う。
だからあまり「死」には触れないようにしているけど、嫌だ!避けたい!逃げたい!と思う方向へどうしても吸い寄せられるらしい。笑

仕事も人の苦しみや影に触れるようなことをしている。そっちには行きたくないと悪足掻きをしてきたけど、今となっては結局それしかできなくなっていたというのが現実。
もっと楽しく気楽に行きたかったな。

テレビのバラエティで「あっち側」「こっち側」について話していた。私は「あっち側」の親族を見て成長し「こっち側」なのに私も「あっち側」になれるはずと勘違いしていて、この歳になってやっと自分の送ってきた人生を客観視した感じがしてる。

それに気付いたら、自分の考えや思いを人に伝えることができなくなった。
簡単にいうと自己肯定感が低くなってしまったということなのかな。

なので、noteも下書きばかりでなかなかアップする勇気が出ない。


今日は私の大好きな場所に来ている。
山にばっかり行っていたから久し振り。
山が私の心を鎮め癒してくれた。
「こっち側」の自分を大切にしようと思えるようにさせてくれた。

山の雄大な自然ばかり見ていたのが、今日ここにきた瞬間涙が溢れた。
美しい。美し過ぎる。そして愛おしい。
この場所に癒されてきた人生の日々が思い出され、びっくりするほど心に響いてしまった。

「あっち側」「こっち側」と何かと優劣の多い世の中だけど、自然の中で得られる恩恵は全ての人が平等。