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図書館員、とある紳士と、大学検定を思い出す

 もう10数年以上前になる、古巣の図書館でのこと。YAコーナーで書架整理をしていると、妙に立派なダブルのスーツの紳士に声をかけられた。すっかり白い髪に品の良い帽子、手にはステッキと、昭和の映画というか藤子不二雄の作品に出てくるリッチなキャラクターそのものだった……ああいうステッキを実際に持ち歩いている人を見たのは後にも先にもない……舞台俳優がそういう役をやっているのだと言われたらすんなり呑み込めただろう。立ち振る舞いに独特の優雅さがあり、曇りの日の薄暗い館内で妙な目立ち方をしていたのをよく覚えている。

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 紳士は《10代向け・ヤングアダルトコーナー》の書架で背表紙に視線を這わせていた。そこに並んでいるのはライトノベルやファンタジー小説、若者向け将来設計本など、あまり彼の年代とは縁のなさそうなラインナップだ。それでもそのコーナーの本を探していたようで、目が合うと声をかけられた。

「高校認定試験というものがありますが、それについて書かれた本は置いてますかな?」

 高校認定試験、古くは大学検定……高校進学をしなかった、あるいは中退した人が高卒資格をとるための試験だ。学歴が中卒の人が大学受験をしたり、公務員試験を高卒枠で受けたりするのにも必要になる。様々な事情でドロップアウトした子達のいわば救済措置的な試験だが、進学しないであえてこちらを選び、本命の大学受験に備える子もいるそうだ。

 もちろん図書館にも高認の案内や解説の本が置いてあった(よく訊かれるけど高認を含めて資格試験や受験の赤本、TOEICの過去問などはない……基本的に図書館に問題集は置きません)。案内すると、何冊かを手に取った紳士は含みのある微笑を浮かべて言った。

「あなたたちみたいな人にはわかりませんでしょう。こういう試験を受けなければならない子たちの気持ちは」

 穏やかな物言いの陰に、微かな感傷とも憤怒ともつかない不定形な感情が脈打つのが見えた、気がした。

 あなたたちみたいな人とは、どういう人間の事を言うのか。

 《こういう試験》を利用することなく普通に高校に通い進学するなり就職するなりする人のことか。
 仮にそうだとして、何故《あなたたちみたいな人》には《こういう試験を受けなければならない子たちの気持ち》はわからないと断言できるのか。《あなたたちみたいな人》は一様にして同じ思考回路を持った金太郎飴みたいな人格なのか? 


 なによりも。
 私も《こういう試験》を受けて進学した子供のひとりだった。言わば通ってきた道の一里塚にそういう試験があったのだ。

「あなたこそ《こういう試験》を受ける子の気持ちが分からなくて困ってるんじゃないですか?」

 そう言ったなら、もう少し突っ込んだ事情が聞けたのかもしれない。しかし、当時の自分はアルバイトでそこに居るだけで、配架しなければならない返却本が山ほどあったし、個人的な話をお客さんとして良いのか判断に迷うところでもあった。
 虫が知らせた気もする。
 彼の舞台の登場人物にはならない方が良い、そんな予感がした。曖昧に返事を濁すと、紳士は、ありがとう、これを読ませてもらいますと静かにページを開いて沈思していった。

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 あれ以来、ふとした瞬間にあの時のことを思い出す。
 もっと親身に答えるべきだったのだろうか? 
 もしかしたら紳士には孫がいて、なんらかの事情で高校をドロップアウトしたのかもしれない。それに胸を痛めて、何とか力になろうと高校認定試験の本を探しにきていたと考えるのは、安直か? そして、孫の力になりたいと思う一方で、高校に通わず《こういう試験》を受ける道を選ぶ事態に陥ったことを呑み込めずにいて、ああいう物言いになったのではないか? 

 仮にもし紳士が、

「孫が高校を中退しましてな、ずっと家に居るようだがどうしたものかと思っております。こういう試験を受けて、どこか大学に入って見聞を広げることが本人のためにもなると思うのですが」

 というような言い方をしてくれたなら、自分も大学検定から進学しましたよと答えられたかもしれない。でも、残念ながら現実はそうそうハートウォーミングな展開にはならないのだ。とりわけ親戚関係には高校を中退したことなどでピンボールの玉になったかの如く説教という名の拳で嫌というほどどつき回された……のだが、数年後にその親戚の子供らが鬱になって仕事を辞めたり、不登校になったりして、しまいには《こういう試験》を受けるにはどういう生活をして備えていたのと訊かれ、前例がいてくれて良かったとヘンテコな感謝までされたのだから世の中というのはわからないものである。

 ちなみに、自分が受験したのはまだ大学検定試験と言われていたころ、年に1度、世間の夏休みの真っ最中にとある大学キャンパスで試験を受けるシステムだった。それを落とすとまた来年の夏まで試験はない。昔に比べれば難易度が下がったと言われていたけど、皆んな頑張って試験に臨んだ。今の高認試験はもっとやりやすくなったらしいし、通信も充実していると聞く。良いことだと思う。

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 大学検定に向けて勉強をしていた日々は、それなりに楽しかった。
 通っていた予備校の大学検定クラスが性に合ったのが大きかったろう。自分は開講されたばかりの大検クラスのただ1人の生徒だったのだ。先生たちはリラックスして講義にやってきて、マンツーマンで、丁寧だった。世間話と授業を交互にやっている感じで、自分みたいなタイプには高校に通ってるよりよっぽど色んな科目に興味を持つ機会になったと思える。

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 徐々に増えていった生徒たちも実にバラエティに富んでいた。警察の厄介になりお母さんに号泣されて悪さから足を洗った元チーマー、いつも眠そうなバイトかけもちしてる黒ギャル、小悪魔オーラ全開の末っ子白ギャル、王子様カットのバンドマン、ぐうたら気質な美大志望、パン屋のアルバイトをしながら公募に原稿出してる漫画家志望、突然思い立ってひきこもりやめたっておにいちゃん、看護師になるためにまず大検をクリアしなければって20代の女性……《こういう試験》を受けなければならない子たちは皆んなユニークで、とてもじゃないけど十把一絡げにはできない面々だった。きっと高校に普通に通っている子たちだってそうだろう、金太郎飴じゃない。

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 そんな話を同居人にしたら、元同僚に高認試験を受けて進学した人がいると聞いた。彼女は月に2回、《こういう試験》を必要としている不登校だったり登校拒否だったりする子たちの相談窓口のボランティア活動に参加していたそうだ。現在は結婚して遠方に引っ越ししたそうなので新天地でもそういう活動をしているのかはわからないが、アドバイザーに助けられた経験を引き継いで活動している彼女に敬意を覚える。

 そして、そういう話を耳にすると、やっぱり自分は紳士と話すべきだったのだろうかと考える。けれども見ず知らずの人のサンドバッグやピンボールの玉にされるのは嫌だなぁと、右の頬を打たれても左の頬を差し出したくない自分が居るのも確かだ。

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