見出し画像

立ち上がった

↑追記;東京の事務所に所属が決まりました。
作品(音声配信)を発表する“場”を
与えてくださったnoteに心から感謝いたします。


❤️😃❤️😃


私が立ち上がったのは結婚して5年、子どもが生後100日を越えてからだった。子どもを産んで翌日、と言っても3時間後に再会した時、“親”としての責任の重さをずしりと感じた。

1人目の育児はチンプンカンプンだった。“何故この子は寝ないのか”が分かっていなかった。睡眠不足で四六時中、朦朧(もうろう)としていた。そんな、朦朧とした中で“このままで人生終わりたくない”と心の底から思った。

妊娠中、ネットで子どもが無事に生まれてくることを検索しながら、声優事務所が地元の田舎に出来ることを知った。子どもが落ち着いた3歳頃から通おうと考えていた。が、日々の育児に忙殺される毎(ごと)に、自分の老いを感じた。

”人間には睡眠が大事です”

育児で身も心もボロボロになりそうなのを“レッスン”に通うことで、均衡を保つことにした。2年間、育児の合間に休み休みしながら ”本当に意味があるのか”と考えたりしながら 自問しながら 胃を痛めながら とにかく必死で通った。あわよくば事務所所属を願ったが不採用だった。

半年後、自分でラジオ番組を作った。自分の“やりたい”という思いと“自分は出来る”という『自負』だけで改めてもう一度“立ち上がった”。

“頑張っている人”をテーマにして飛び込みと知り合いの5人を取材。各々、前編後編を自分で編集構成して10回分のラジオ番組が完成した。

出来上がった番組をいきなり放送局に持って行くのは、さすがに未経験の私には心のハードルが高過ぎた。そこで彼(夫)のポケットマネーでコミュニティFMの番組枠を2万円前後で購入した。…彼(夫)はいつでも私を色々と一番に手助けしてくれる。ありがとう。結婚して良かったです。

初めて自分のラジオ番組が流れた時の感覚は

電波に乗った❗

と感慨深いものだった。
公園の広い芝生の青を眺めながら 久しぶりに一人でラジオに聞き入った。

その自分の気持ちを弾みに“自己満足”で終わらせないと改めて思った瞬間だった。すぐに音響機材を持っている知人に頼んで、自作でボイスサンプルを作った。

それを引っ提げて意気揚々と新たなコミニティFM2件の戸を叩いた。1件がボランティアパーソナリティーに採用してくださった。
その後、その局で社員にまで採用してくださった。有難い極みである。感謝してもしきれない。

しかし、私は事情があり体調を壊し、武器の“喉”を壊し、局を去った。

K社長、S局長ご迷惑をおかけいたしました。
ありがとうございました。
感謝しております。


私のもう一つの“note”です。
↓こちらが“本命アカウント”です❤️
フォローよろしくお願いいたします







この記事が参加している募集

自己紹介

サポートをしていただいたお金で、演劇を観に行きます。そして、人間力と表現力を磨きます💎✨