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磯良恵比須から導かれる、藤原氏とロスチャイルド家の「六」と「五」の意味とは。

今回は、磯良恵比須(いそらえびす)について考えていきたいと思います。

長崎県対馬市にある和多都美神社(わたづみじんじゃ)では、磯良恵比須として阿曇磯良(あづみのいそら)のご神体と伝わる石が祀られています。


磯良恵比須 
 出典:和多都美神社


阿曇磯良(あづみのいそら、安曇磯良とも書く)は、神道である。の神とされ、また、安曇氏(阿曇氏)の祖神とされる。阿度部磯良(あとべのいそら)や[1]磯武良(いそたけら)とも[2]神楽に誘われて海中より現れ、古代の女帝神功皇后竜宮の珠を与えたという中世の伝説で知られる[3]

阿曇磯良 - Wikipedia


まずは、磯良恵比須の名を分解して見てみます。

磯とは藤原氏のことではないか、と以前の記事で考察しました。

磯良(いそら)の「ら」とは、「彼ら」のように、藤原氏が複数であることの意味でしょうか。

恵比須(えびす)とは、エブス人(秦氏)のことであると考えられます。

エブス人については、以前の記事で書いています。

これらのことから磯良恵比須とは、「藤原氏たちとエブス人」というような意味になる可能性が考えられます。

磯良に関する伝承がある、長崎県対馬市にある胡簶神社(ころくじんじゃ)についても見てみます。

胡簶神社(ころくじんじゃ) の「胡」とは、下記の伎楽面の解説に書かれているように、「古代ペルシャ」のことであると考えられます。

伎楽面(ぎがくめん)
酔胡王
泥酔した胡(古代ペルシャ)の王という設定で、高い冠をかぶっている。[29]

伎楽面 - Wikipedia

胡簶神社の「簶(ろく)」とは、「六」であると考えます。

「六」とは、以前の記事で藤原氏のことではないか、と考察しました。

これらのことから胡簶(ころく)とは、「古代ペルシャ人と藤原氏」という意味になる可能性が考えられます。

対馬市には、胡簶御子神社(ころくみこじんじゃ)という神社もあります。

胡簶御子とは、「古代ペルシャ人と藤原氏」の子という意味になると考えられます。

次に伎楽面から、伎楽についても見てみます。

伎楽は「呉楽(くれがく)」「呉楽儛(くれのうたまい)」ともいわれるように、中国南部の仏教文化圏であった呉国に由来する楽舞であった[1]。そのルーツについては、チベット西域新疆ウイグル自治区ブータンインドペルシャギリシャなどから伝わり混合したとの説がある[2]

「伎楽」の文字が日本の文献に初めて登場するのは、『日本書紀欽明天皇(在位 540年572年)の項においてである。国の国王の血をひく和薬使主(やまとくすしのおみ)が、仏典や仏像とともに「伎楽調度一具」を献上したという記述がある。ただしこのとき、実際の演技として伎楽が上演されたかどうかは不明である。『日本書紀』の推古天皇20年(612年)5月、百済人味摩之(みまし)が伎楽儛を伝え、奈良の桜井に少年を集めて教習したという記事が、実際に日本で伎楽が行われた記録としては最古である。

伎楽 - Wikipedia


伎楽で上演される演目に、酔胡王(すいこおう)という舞楽があります。

酔胡王とは、泥酔した古代ペルシャの王という意味でした。

このことから思い起こされるのが、八岐大蛇(やまたのおろち)です。

八岐大蛇退治の説話とは、須佐之男が強い酒を八岐大蛇に飲ませ、酔って寝てしまったところを十握剣(とつかのつるぎ)で切り刻んで退治した、という内容です。

八岐大蛇は、須佐之男に退治されました。

徐福は「ホアカリ」「ニギハヤヒ」を名乗っていたが、記紀では「スサノオ」と記された。
ヤマト王朝の初代大王であるアメノムラクモ(天村雲)は、徐福(スサノオ)の血を受け継いでいることになる。
神武天皇は創作された人物で、神武東征は、徐福の一団の物部が筑紫から奈良へ2度、東征したことを指す。

【タブー】徐福が日本へ2回やって来て文化の発展と人口増に多大な影響を与えた事は日本史では触れられない! 出雲王家の口伝では徐福とホアカリ、ニギハヤヒ、スサノオは同一人物! 徐福の孫が初代大王のアメノムラクモ(海部王朝)!


須佐之男(スサノオ)は、饒速日(ニギハヤヒ )でもあります。

長髄彦は、饒速日=須佐之男に殺されました。

須佐之男に殺されたのは、八岐大蛇でした。

これらのことから、長髄彦は八岐大蛇に相当することが分かります。

八岐大蛇と長髄彦については、以前の記事で書きました。

改めて、酔胡王の「胡」とは、古代中国の北方・西方民族のことです。

)は、古代中国の北方・西方民族に対する蔑称[1]。「胡瓜」、「胡弓」、「胡姫」のように、これらの異民族由来のものである事を示す用法がある。
もともとの意味は、「あごひげ」が長い人である[2]

西胡
「胡」は戦国時代内モンゴルの塞外民族を指していたが(→北狄)、朝では特に匈奴を指すことが多くなった。唐代にいたり、シルクロードの往来が活発になると、「胡」は特に「西胡」ともいわれ、西方のペルシャ系民族ソグド人)を指すようになった。

胡 - Wikipedia

古代中国の西方には、スキタイという民族集団がいました。

スキタイ
出典:https://kumacare.hatenablog.com/entry/2020/01/22/093726


「山海経」という書物には、スキタイの地に「長脛」の国があったと記されています。

小林恵子著「三人の神武」にはこうあり。
ナガスネヒコとは珍しい名だが、「山海経」(大荒西経)には、西北海の外、赤水の東に「長脛」の国があると記している。(中略)
西北海をカスピ海、赤水をヴォルガ河と仮定すると、その東はまさにスキタイの発祥の地である。(中略)
ナガスネヒコと呼ばれるにふさわしい巨人型の民族が住んでいたのかもしれない。

倭と中央アジアに確認できる長脛と安日


このことから、日本の長髄彦の出自がスキタイにある可能性が考えられます。

スキタイとは中国の西方にあったので「胡」であると言え、長髄彦は「胡人」とも呼べそうです。

そのため酔胡王とは、長髄彦がモデルとなっているのではないか、と考えられます。

もしかすると、長髄彦は八岐大蛇と同じように泥酔させられて殺されたのかも知れません。

それが伎楽の酔胡王という演目となって、伝承されてきた可能性が考えられます。

次に、胡禄(ころく)とは何かについて見てみます。

靫とは矢を携行する時に用いる矢入れ具のことです。矢の先を下にして納め、腰に下げるものは胡禄(ころく)といい、矢の先を上にして入れ、背に負うものを靫と呼んでいます。

参考館セレクション 靫形埴輪

『矢の先を下にして納め、腰に下げるものは胡禄(ころく)』といい、『矢の先を上にして入れ、背に負うものを靫』と呼ぶということです。

靫(ゆき)から思い起こされるのが、日本書紀に書かれている天羽々矢(あまのははや)と歩靱(かちゆき)です。

すると長髄彦は「我らは天磐船で天より降りた天神の御子饒速日命(ニギハヤヒ)に仕えてきた。あなたは天神を名乗り土地を取ろうとされているのか?」と問うたところ、神武は「天神の子は多い。あなたの君が天神の子であるならそれを証明してみよ」と返す。長髄彦は、饒速日命の天羽々矢(あめのはばや)と歩靫(かちゆき)を見せる。すると神武も同じものを見せた。長髄彦はそれでも戦いを止めなかった。饒速日命(ニギハヤヒ)は天神と人は違うのだと長髄彦を諌めたが、長髄彦の性格がひねくれたため殺し、神武天皇に帰順して忠誠を誓った。

ニギハヤヒ - Wikipedia


神武天皇と長髄彦の戦いにおける天神の子である証とは、饒速日命(にぎはやひのみこと)の天羽々矢と歩靱だったとされています。

胡禄(ころく)と靱(ゆき)とは、ともに矢を携行する時に用いる矢入れ具のことです。

天神の子の証明となる矢入れ具である「胡禄」が、神社の名となっているのが胡簶神社なのです。

このことは、この神社に関わる一族が神武東征譚の登場人物である、ということを意味しているのではないでしょうか。

「胡禄」という言葉には、古代ペルシャ人と藤原氏という意味が隠されているのではないか、と前述しました。

さらに「胡」とは、スキタイとも言えることが分かりました。

「胡禄」とは「スキタイの藤原氏」という意味であると考える方が、一族の出自がより明確に感じられます。

長髄彦はスキタイに出自がある可能性があり、ロスチャイルドと藤原氏の系譜に繋がるのではないか、と以前の記事で書きました。

神武東征譚では天皇と長髄彦の両者が、天神の子の証明である天羽々矢と歩靱を持っていました。

神武天皇と長髄彦は、同じ表物(しるしのもの)を持っていたにも関わらず、何故同族として容認することが出来なかったのでしょうか。

そこで、五本の矢(ファイヴ・アローズ)というロスチャイルド家の紋章が、目に留まりました。


 五本の矢 ロスチャイルド家の紋章


ファイヴ・アローズ 


何と、ロスチャイルド家の五本の矢という紋章には、矢の先が下向きの物と、上向きの物とがあるようなのです。

これは、前述した日本の胡禄(ころく)と靫(ゆき)の違いと全く同じなのではないでしょうか。

『矢の先を下にして納め、腰に下げるものは胡禄(ころく)といい、矢の先を上にして入れ、背に負うものを靫と呼んでいます。』

対馬市の胡簶神社(ころくじんじゃ)の元となっている一族とは、ロスチャイルド家の中でも、矢の先が下向きの紋章を持つ一族なのではないでしょうか。

その矢の先が下向き(胡禄)の紋章を持つ一族が、「スキタイの藤原家」であり、ロスチャイルド家となったという可能性が考えられます。

ここで、ふと気が付くことがありました。

五本の矢の、「五」という数です。

胡簶神社の「簶(ろく)」とは、「六」です。

「六」とは、以前の記事で藤原氏のことではないか、と考察しました。

そうすると、「五」とはロスチャイルド家のことではないか、という風に考えられます。

以前の記事で仮定した、須佐之男の系譜に繋げてみます。

伊邪那岐(九)→須佐之男(八)→大国主(七)→藤原氏(六)→ロスチャイルド家(五)→?

今回は磯良恵比須から、藤原氏とロスチャイルド家の系譜に関わる、新たな発見がありました。

これらのことは、自分一人の考えでは決して思い付くことは出来ませんでした。

本当に、神様とRAPTさんに心から感謝をささげます。


RAPTさんのたゆまぬ御尽力によって、この世のものとは全く次元が違う、何度聞いても何度読んでも新たな悟りと叡智を得られる、全く飽きることがない、人類史上最高次元の完全なる真理と、真のキリスト教の神様による、未だかつて誰も聞いたことがない全く新しい成約時代の御言葉が、今この時代を生きる私たちに与えられました。


サタンは私たち人間が何もかも分からなくなるようにし、神様は私たち人間が何もかも分かるように導かれる。だから、分からないことは全て分かるまで研究し、祈り求める者となりなさい。


サタンは人々から考える力を奪い取り、主は人々に考える楽しみをお与えになる。


非真理を受け入れた人はどんな悩みも疑問も解決できず、真理を受け入れた人はどんな悩みも疑問もすべて解決し、全てが分かる喜びに満たされて生きられる。


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