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そういえば、私変わったなと思うこと

この投稿でも書いたのだけど、ジャーナリングをすると「自分が何にフォーカスしているのか」がよく分かる。

https://note.com/millier/n/nb6c273d0712a

「自分が何にフォーカスしているのか」というのは、自分が「いつもどんなことを考えているか」ということ。

つまり、ジャーナリングとは「自分自身を俯瞰してみる目」なんだと思った。客観的に捉える、抽象度を上げる。そういうことでもある。


ところで、私は派遣保育士として勤務しているのだが、担当しているクラスの保育士間で「ちょっとしたこと」があった。

「ちょっとしたこと」とは、人間関係についての「ちょっとしたこと」で、これは昨日今日始まったことではなく、くすぶり続けていたこと。

どうでもいいような、でも・・めんどくさいことなんだなーこれが。


かつての私は、こういう時「誰かのせい」にしようとして「誰か」が変わってくれれば上手く収まるのに・・とか、「誰々が悪い」「私は悪くない」という思考だった。

あ、もちろん今でもそういう要素、あり。(もちろん、、って?)

かつて私の思考グセが強かった時は、すっごくしんどかった。
アルコール依存になりそう・・って思うくらい、週末は酒に逃げた。もしくは、友達と会って延々愚痴を聞かせた・・。

ああ、、ごめんね友よ!

過去の私と変わったのは、人間関係の問題が起きたときの捉え方。


私は、こんな風に捉えるようになった。

【その1】

まず、嫌な気持ちになったときの「体感」を感じる。

しかし、実はこれ、私には結構難しい。
難しいのは、思考が止まらなくなり「あの時こうだったな」「こんなことも言われたな」などを考え出す傾向にあるから。

でも「あ、思考が飛んだな」と気づけば「体感」に意識を戻すことができる。飛んだら、戻す。これを繰り返す。面倒だけど。


【その2】

頭の中に浮かぶことを、とにかく書き出す。
浮かんだことを、浮かんだままに書く。
文章にならなくてもいいから書く。

つまり、誰かに愚痴るのではなく、どこかに吐き出すんだけど、それが「紙」なわけだ。→これをジャーナリングでやってる。

そして、この時も体感を感じてる。


【その3】

その問題は、
・私に「何を知らせているのか?」
「何に気づけと言っているのか?」を考えるようにする。

「自分に気づく」ために、これは何の意味があるのか?

起きることに意味なんてない、という考えの人もいるだろう。でも、私は「何かしらの(人生の意図に関わる)意味がある」と考えたほうが、自分自身が楽になることが多いので、そうしてる。

(結局、どっちが正解ってことはないよ、ということだと思う)


【その4】

とにかく「起きることが起きているだけ」なので、問題だと思っていることに善悪はない。すべて完璧な世界でただ起きていること、ということを思い出す。

(もしかしたら、捉え方は違っているかも・・)

去年「ワンネス体験した友達」に教えてもらったことを思い出している。
この考え、私はすごく安堵するから。


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「いやだな」と感じることが起きたとき、私がしていることはザッとこんな感じ。中でも、真っ先にするのは「体感」を感じること。

これは、長年試してみて、体感を感じることを真っ先に行った方が現実が変わるのが早いと分かった。

体感する方法は?については、こちらの動画を参考にしてるよ。
笠村メソッド<基礎編> (youtubeに飛びます)


自分の覚書のためと、加えてどなたかの参考になれば。

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