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映写機に光るちりをつかまえる

仕事で使うことがあったnoteにプライベートでも書いてみたくなった。
客観的にロジカルに書く仕事での文章と、自分しか読み返さない散文詩みたいな感情たっぷりの日記との、ちょうどあいだくらいに書き残しておきたいことがあるような気がしたので。

「たんぽぽの日々」を残したい

歌人の俵万智さんの歌集にこんな歌がある。

「たんぽぽの 綿毛を吹いてみせてやる いつかおまえも飛んでゆくから」

たんぽぽの綿毛になって飛んでいく子どもたちのこれからを、地面に根を張っている母さんたんぽぽは見届けてやることはできない。ただ、風に祈るばかり。
そんなたんぽぽの姿をご自身の子育てとかさねて詠んだちょっと切ない歌。

今年、私の長男と次男は10歳、5歳になった。
つい昨日まで頼りなさげに泣く赤ちゃんだったのに、いつの間にかちょっと頼もしい少年になっている。

この10年で世の中は想像もしなかった方向に変わっていき、自分自身も日本国内からアフリカのケニア・ウガンダ、アメリカと仕事や研修でめまぐるしく駆けぬけてきた・・という記憶のほうが日常のささやかなワンシーンよりもくっきり残っていることに気づいた。

闇のなかには無数の光が漂っている

たまたま去年に体調をくずしてしばらく仕事を休んだことがあり、「これからの5年、10年どうしたい?」と問うてみたときに、「何の変哲もない日々からささやかな幸せの粒子をそっと抱きしめたい」と思った。(仕事は仕事としてやりたいことや実現させたいことはあるのだけど、それはまた別の機会に)

小さい頃、映画館で映写機が闇を照らすなかで舞うちいさな光をじっと見つめるのが好きだった(それがちりだと知ったのはもう少し大きくなってからだったかもしれない)。
この世界にはふだんは気づかない無数のちりがたくさん漂っていて、闇の中で映写機に照らされてはじめて光として姿を現す。

そんな儚くも小さな光をつかめるような日々を送れたら、と思ってnoteをはじめてみます。

三日坊主で終わるかもしれないし、案外と続くかもしれない。
仕事に家事に子育てと、あっという間に過ぎていく光速ライフのなかで一息つけるペースメーカーになったらいいな。


(写真は、東京都現代美術館の展覧会『オラファー・エリアソン ときに川は橋となる』での一枚。
〈ときに川は橋となる〉というタイトルには、「まだ明確になっていないことや目に見えないものが、たしかに見えるようになるという物事の見方の根本的なシフト」という意味が込められているそうです。)

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