それでも、スポーツで生きていく人
台風迫るなか、度重なる遅延や列車の運休、3万円相当分のタクシー振替輸送、運転見合せからレンタカー使用…と壮絶な移動となった宮崎・都農への旅。
それでも行った甲斐がありました。「それでもスポーツで生きていく」同志に会うことが出来ましたから。
私が以前、岐阜県でスポーツのお仕事をしていた時の仲間たち。
以前も熱意に溢れた仕事をしていたのですが、今回もその仕事ぶりは健在でした。
アマチュアサッカーの試合会場で、地域のダンスチームの発表の場を設けたり…
過去に一世を風靡したアーティストやMC、地元の気鋭のラッパーをキャスティングしたり…
サッカーの試合は残念ながら敗れてしまったのですが、試合後には雨のなか社長以下選手全員がお客さまのお見送りをしていたり…
やはり熱意あるところに、人は集うのだと思いました。
地域サッカーリーグとは?
今回お邪魔したサッカークラブさまは、九州リーグ1部というところに所属しています。
日本のサッカー界は、トップにプロサッカーリーグのJリーグが、J1・J2・J3と3つの階層を持ち、その下にプロ・アマチュア混在のJFLという全国リーグがあります。
その下に全国9つからなる地域リーグが存在し、九州リーグ1部は、トップから数えると5部に相当するアマチュアリーグです。
今回お邪魔した J.FC MIYAZAKI というサッカークラブ。試合会場となっている宮崎県の都農町とタッグを組み、
「ツノスポーツコミッション」という官民連携の組織を立ち上げ、単にサッカーの試合や興行を行うだけでなくスポーツを通じた地域創生に取り組み出しているのです。
この4人の仲間たち、出身地はそれぞれ、岐阜県、沖縄県、宮崎県、長崎県と異なるのですが、全員がこの仕事を機に、宮崎県都農町に移住しています。
「それでも、スポーツで生きていく」同士たち
彼らは理想の仕事を目指して、それぞれに転々とした人生を歩み、そしてここ都農町に集ってきました。
社長になった同志は、地元沖縄のサッカークラブの創成期に関わり、岐阜でその仕事を発展。その後都農町に移住し、その人望で立場を構築し、そこから仲間を集めてきました。
ある一人は、岐阜から長崎、鹿児島と移りここ宮崎へ。この間サッカーの普及だけでなく、一般社団法人の立ち上げなどの実務を複数経験しています。
ある一人は、長崎のサッカー強豪校で全国制覇プレイヤーだった道から岐阜でマネージャー業へ。その後試合運営も担当、退職後は旅行代理業の経験も重ねています。
ある一人は、地元宮崎のサッカー強豪校から指導者の道へ。岡山、岐阜、長崎と転々としながら、キャリアを増してきました。そして出身校が母体となる地元クラブに今回帰ってきたのです。
成長なくしてその道は続けられない
4人がそうであるように、『好きなことを仕事にする』『好きなことで生きていく』上で、年を重ねるなかで、それまでできなかったことを一つ一つ克服してゆく逞しさを、欠くことはできません。
そして、結果が出なければ、責任が問われやすいスポーツ業界は、どうしても転職歴が多くなったり、暮らす場所が転々とすることを避けられません。
私のnoteでは、『それでも、スポーツで生きていく』そんな人たちにフォーカスをあて、スポーツの世界の魅力を幅広くお伝えできれば、と考えています。
彼らのお仕事が、地方創生の一つの有効事例となりますよう。私もできる貢献を実行に移していきたいと考えております。
まずは誇れる同志の紹介投稿でした!
スポーツエッセイスト
岡田浩志
『みるスポーツ研究所』では、「それでも、スポーツで生きていく」皆さまの取り組みにもっと寄り添っていけるよう、随時サポートを受け付けております!