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安らかなゴール

5月1日。
母が旅立った。

倒れて入院してから、ちょうど10日間。
意識はなく、でも体を少し動かしたりはしていたけれど、
苦しそうでも辛そうでもなく、ただ眠りつづけていた。

救急搬送された日に、手術はしない、という選択をし、
数年前にサインしてあった「尊厳死の宣言書」も医師に渡した。
延命のための治療、措置はしないと話し合った後、
医師は穏やかなまなざしで、静かに言った。
「安らかなゴールを目指します」

そして1日の午前2時過ぎ、
看護師の見回りの際も変わりなく眠っていて、
その5分後、モニターの数値がさがりはじめて。
医師は、双方の取り決め通り、
通常なら行うはずの人工呼吸や心臓マッサージもせず、
静かに見守ってくださった。
おかげで、母は文字通り眠るように、
いや、ただただ静かに眠ったまま、
安らかなゴールを迎えたのだった。

怖がりで痛がりで心配性の母だったから、
これでよかった、ほんとうによかった。
享年八十八歳。
眠っているようにしか見えない母を眺めながら、
浮かんでくる言葉は、褒め言葉ばかりだった。
今まで、よく頑張ったね。えらかったね。
元気なうちに、もっとちゃんと褒めればよかった。
でも。親子ってそんなものだよね。
気持はきっと通じてた。

三十代まで和裁を生業にし、七十半ばで水彩画を始め、
何より食いしん坊で、台所に立つことを厭わなかった母。
きっと今頃、彼方の自由な世界で楽しんでいるに違いない。
好きなことができるようになって、喜んでいるはず。

だから、よかった。これでよかった。

そう思えるのも、たくさんの人に助けて頂いたから。
本当に驚くほど、良くして頂いた。
我が夫も、まるで本当の母親のように面倒をみてくれた。
そう、皆に可愛がってもらって、母は本当に幸せだった。

関わって下さったすべての人に、
すべてのことに、心より感謝を。
ほんとに、ほんとうに、ありがとうございました。

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ということで。
今回母が倒れたときのこと(母宅に行きドアを開けたらチェーンがかかっていて応答はなく救急消防を呼び開けてもらったら倒れていて意識レベルⅢで救急搬送)や、これまでの母の介護生活のあれやこれやを、少しずつ書いていけたら、と思っています。

こういうことって大抵は、
何をどうしたらいいかさっぱり分からない、
というところから始まるから。
今もきっと右往左往している人が沢山いるはずだから。
実際に直面して初めて分かったこと、
ちょっとした工夫で上手くいくようになったこと。
そんなことで、少しでも今困っているあなたの助けになれば。

といっても、わたし自身、まだ落ち着いてはいないので。
ほんとに、ぽつぽつ雨垂れ更新になりそうですが。
どうかご海容くださいますように。
(でももし何か訊きたいことがあれば、いつでもどうぞ)


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