ムンクとフェルメール

先日ムンク展とフェルメール展に赴いた(別々の日に)

ムンクは「叫び」が有名だが私は「絶望」に心ひかれた。
絵のタッチのダイナミックさと大胆な色使いに圧倒された。
暗いと思われがちだが「太陽」をみた瞬間のあの眩さに心から温もりを感じた。
半面やはり赤い空の「叫び」や、石板の「マドンナ」「吸血鬼」にも強く惹かれた。
陰と陽、どちらも中途半端さものはなく強く絵に表れていると感じた。

展示の見せ方もゆったりとしていたのでメインの「叫び」「絶望」は
まずは最前列で見られるように列にならび(そういうレーンがある)、
あとはいつでも眺められるゾーンで暫く鑑賞できたこともよかった。

入るときは時間がかなりかかったが、係員の館内は暑いので上着を脱いでご覧くださいや、リュックは前にかけてくださいなどのアナウスも好感が持てた。
ロッカーが少なくて入れられなかったのは残念だったが。
かなり満足できる展示だった。

しかし・・・フェルメール展は。

フェルメールやその他の同じ時代の作品は素晴らしい。
あの繊細なタッチや陰影。
同じ窓辺といっても差し込む光の質が違う。

そして色彩が今でも艶やかに語りかけてくる。
生地のドレープの深さや、布の質感まで手に取るように感じだ。
また人物の表情がいい。ほほえみやまなざしに吸い込まれる。
化粧っ気のない色白に真っ赤な頬は、触れたら熱を感じるのではないかと思った。
いつまでも見ていたいという気持ちになる。

フェルメールの作品では何度も出てくるペルシャ絨毯の使い方の見比べもできた。
フェルメールブルーはさることながら、フレッシュさを失わないレッドも際立っていた。
黄金の布は高貴さを引き立てていた。
細かいひび割れはあるものの、この時代にここまで残る美しさと繊細さ。

しかし、それを上回るくらい会場は悪かった。
まず事前チケットはいいだろう。
しかし普段よりかなり高い(2500円/当日は2700円)
ついてくる音声ガイドははっきりいっていらないくらいの情報量と質。
人数制限してるわりにはギュウギュウ詰め。
大きなリュックや買い物袋、何個もバックを手荷物する人たち。
ベビーカーも何台かいた(混雑時はお断りする場合があると書いていたが?)

フェルメールの絵画の大きさを知っての展示だろうか?
3メートルもない感覚で並べられている。
会場はごちゃごちゃ。
係員が何度も列ではありません、横移動せずに後ろから入り、
先頭の方は終わったら下がってくださいとアナウスしても、全く聞かない群衆。
だって小さいから見えなくなるやら、ぐいぐい押し込んでくる老人。
挙句には横移動しない私に悪態をつく女性。

私は何度も後ろから前が空くのを待ちつつ最前に来ているのだ。
そして数分鑑賞したら下がることを繰り返していたが、
こういう輩のせいでごったがえ。
大きなリュックを振り回してぶつかられる事多々。
何故係員は注意しないのか?まず大きな荷物の持ち込みはやめてほしい、
ロッカーは沢山空いていた。入らない大型荷物は預かりを行ってるのに。

せっかくのフェルメールを台無しにしているのは美術館だった。
展示の仕方が最悪。
行き止まりのくぼみではもう前にも後ろにも行けない。
キュレーターがいるのかとさえ訝しげに思った。

横移動しないように区切りをつけないのも不思議だ。
いやフェルメールは一部屋に3点が限度だろう。
ブロックで区切り前後の移動を促してほしい。

横移動する輩のせいで、折角目の前に素晴らしい絵があるのに視線は次の絵に移っている人々。
なんて愚かなんだろう。

日本人の絵を見る時、最初から列になって流し見する性質が本当に無理だ。
好きなところから好きに見ていいと何度もアナウスしているのに。

これが平日の午後の現状だ。
土日など恐ろしくて行けないと実感した。
海外の美術館でゆったりと感賞するような身分になりたいものだ。

#ムンク #フェルメール #美術館

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