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SEと読書但し途中離脱


最後まで読み切ることが正ではない

 いつものことだが、本件SEとは関係ない。私の一個性のようなものだ。他業種の方々が思うSE像とは随分違っていて、本日は特に文系色。因みに高校も大学院も理系なので、文系だとか理系だとか、枠組みで思考が制限される話でもない。どちらにしても随分昔のことだけど。
 さて、前回の読書評(っぽいもの)で、多読であることは記した。何でも食べる悪食だが、それでも読み切らない読み切れない本がある。
 今日は読み切るばかりが正しい訳ではないとツラツラ書く。

 まず、面白くないものは読めない。
「面白さ」とは難しくて単純だ。年を重ねるごとに、またはその時求めているもの、気分に因って、興味をそそられるものは異なる。だが、面白さは本能に訴えるものであり、直感的でウダウダと理由を考えるものでもない。
要するに面白くなければ読み進まない。

 少し前に途中離脱した本は「気持ちが悪くなった」のが原因だった。依存症の例が何件も出ていて、現実に耐えられなくなってしまった。
日頃のニュースでも、目を覆いたくなるような事故や事件は、注視することができない。
見られない読めないものを進める意義を感じていない。
嫌なことから逃げないと云う短絡的物差しではなく、拒否する理由やプロセスがあり、それが妥当だとか云々。
イヤ、これに関しちゃそんなオオゴトではなく、主観であり、嫌いなものは嫌い、以上。

読み切らなかった本を上げて良いのか

 良かったモノの宣伝や評論は、比較的自由に発信しやすいが、悪かったモノを公表するのは気が引ける。
私がイマイチと判断したモノでも良かったと思う人だっているだろうし、発信元、例えば著者に対し悪影響を及ぼすかもしれない(そんな拡散力は私には皆無だ)。
奥歯に物が挟まったような感覚である。褒めていいけど、指摘はダメなような。
 だが、指摘は実施されている。
なぜ指摘できるのか。力か数か。
多数が良いと判断したものを、自分だけが悪いと述べるのは難しい。

先日Kindleのベストセラー本を購入したのだが、ビミョーだったと云うだけ。

個人の感想とは

 子どもの頃の読書感想文嫌いの理由を、今更文章化した気分だ。
個人の感想は、白黒や良い悪いのような二択ではないはずだが、かと云ってどちらにも受け止められるような曖昧な感想は、正直好みではない。
 先日久しぶりに鴨長明の「方丈記」を読んだ。学生時代は国語の授業で冒頭文を覚えさせられただけ。しかし、ウン十年経って読んでみると、ストンと腹落ちするというか、そういう心境もあるよねと受け入れることが出来るようになった。
 だいぶ前に夢野久作の「ドグラ・マグラ」に挑戦したが、途中で心へし折れて今も尚チャレンジする気は起きない。いつか読めるだろうか。随分経ったはずだが、読み進めたところまで内容は覚えている。
 読み切らなかった本にはそれぞれ理由があるので、そんな視点の感想文があっても良いかもしれない。

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