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抱負スピリット

昨年末、新年の抱負みたいのを、サワー呑みながらXを眺めつつぼんやり考えてた。まず浮かんだのは、自分の年齢。気づいたらいい歳。(いい歳の「いい」って皮肉?肯定からの否定?)ともあれ、どんな風に歳を重ねたいかということを、いい歳して初めて考えた。

真っ先に浮かんだのは野宮真貴。絶対にあんな風になりたくないと思った。私はフリッパーズ・ギター + 小沢健二とCorneliusが好きなので勘違いされるが、実は他の渋谷系と呼ばれる人達のことは特に好きじゃなかったりもする。90年代当時は野宮真貴オシャレと思っていたし少し聴いたけど、あの徹底した感じと気取りは性にあわないし、今の彼女は痛いしダサいと思う。なにが「エレガントの極意を語る」だ。「歳を重ねてからは赤いルージュ」だ。「弁えて美しくあれ」というオシャレ小姑っぷりはカッコ悪いと思う。

次いで浮かんだのは、丁度1年程前に亡くなったヴィヴィアン・ウエストウッド。彼女のファッションが好きだったのは90年代だけど、パンクスピリットを貫いた生き様は今も敬愛しているし、カッコイイと思うし、あんな風に歳を重ねたいと思った。
そしたらもう、ヴィヴィアン&マルコムの「Too fast to live Too young to die」と野宮真貴の「エレガント」を合体するしかない。

Too young to be elegant (エレガントになるには若すぎるぜ!)

という感じになったのだけど、ちょいと補足しよかなとか、サワー500缶が空くとそういう思考回路になるもので。エレガント=洗練・上品。お行儀良くとか絶賛拒否したいなって。お行儀に頓着してたらパッションは届かない。何なら土足で。いや、ジーナ・ローランズのようにヒールを脱ぎ捨てるのもカッコイイ!とか。

でも行儀悪いって、良識派の人達は怒るんだろうなあって。でもさと。良識派ぶってるこいつら、結構ろくでもないよね?って、相変わらず目線の先にはXがあるから。「良識」「節度」「普通」って、そこからどうしようもなくはみ出してしまう人達の気持ちを置き去りにするし、時にそれらをかなぐり捨てないと居場所を失う。「普通」に当たり前に馴染める人は、「普通そうでしょ」と良識を突きつける暴力性に気づかない。そういう人達が取りこぼしちゃう部分って、私みたいな人間が見つめることができるんじゃないかなって、サワー2本目だから尊大になっちゃって。こういう尊大さってろくでもないのに。
そんな恥ずかしい経緯を経て、以下の全文になりました。

HaPPY NeW yEAR
良識からこぼれ落ちるものに目を向け
お行儀に頓着せず歩む所存です
Too young to be elegant!!!

ケーキ殴ってる写真と共にアップしたけど、意味わからん上に拒絶感が強かったんだと思う。見事にスルーされた。私のスピリットとパッション、新年早々全く伝わりませんでした!南無。

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