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考えることが苦手

ライターとして、エディター、ディレクターを目指す身として大きな壁にぶち当たっている。

それは考えることが苦手だという壁。

どうしてこの壁にぶつかったのか、どう乗り越えればいいのか、苦手なりに考えてみた。

文章を書くのは得意でも

私は小さい頃から作文が得意で、話すより書く方が自分の意思を的確に伝えられるし、聞くより読む方が相手の伝えたいことが理解できた。

特に文構造を整えることが好きで、推敲は大好きな作業だった。

だから、人よりは文章をきれいに書ける方だと思う。

でも私は昔から深く考えることが苦手だった。

表面上の文章がある程度うまく書けていたから、思考の浅さを他人から指摘されることはなく、ここまで生きてこられたように思う。

しかし、実態は論理的に考えを進めることが非常に不得意な人間である。学生時代の数学や物理などロジカルな教科は、とんと理解できなかった。

就活でもコンサルティング事業や広告事業など、マーケティング手法を駆使する業界はまず避けた。

営業事務職という言われたことを迅速に正確にこなす職を、キャリアスタートの場として選んだ。

しかし、である。

ここに来て、30も半ばになって、考えることの重要性を痛感しているのである。

進みたい道を行くには足りないもの

なぜ、考えることが苦手という壁にぶち当たったか。

文章をきれいに書けるだけでは、私の目指すエディターやディレクターにはなれないのだ。

ありがたいことに、現在では単に与えられたお題目について書く仕事だけではなく、企画や編集サポートといった書く前段階の仕事も請け始めている。

意気揚々と取り掛かるそれらの仕事。でも遅々として進まない。やりたい気持ちはあるのに、考える習慣がないから企画書は書けないし、インタビュー取材がうまく進まない。

いや、もちろん社会人だしお金もいただいてるから、今の全力を出して成果物を提出する。

その時の指摘の多さたるや。「もう辞めようかな」と一瞬迷うくらい。

落ち込む度に「まだライターとして活動し始めて2年目。諦めるのは早い」と自分を鼓舞する。いたたいだ赤字をひとつずつ自分の血肉とすべく、再稿を書く。

そんな悪戦苦闘の中、ふとしたきっかけで友人からこの本を勧められた。

人から勧められた本はとりあえず読む派である(ここも考えない癖がでている)。

読み終えたあとは「なるほどな〜」くらいだったのが(また考えない癖)、ある取材ライターさんのツイートを読んで腑に落ちた。

ハッとした。

私は、私の文章を求める人、つまり記事発注元と読み手の解像度が低いまま書いていたのだ。

言われた通りには書ける。きれいにもかける。でもあともう一歩。

この文章を、誰にどう届けたいのか。この文章を通して、誰がどんな価値を提供したいのか。

考えていたつもりだったけど、全然考えられていなかった。深さがまったく足りていなかった。

前述の『解像度を上げる』の中で筆者は、思考の深さを得るには、十分なリサーチと得られた情報の構造化、実際の行動を伴う試行錯誤が必要と主張している。

今の私に必要なのは、私の文章に関わってくださる方々の意図や背景、既知の情報を深掘りする努力である。

子育てとは違う力

作家の林真理子氏は子育てでは人は成長しないと言い切る。

最初にこの主張を目にした時、正直言って「こんなに頑張ってるのにひっどいなー」と思った。でも、今は少しわかる。

子育ては日々の対応力や共感力が問われる。でも仕事は思考の深さや論理性が求められるのだ。

どちらが偉いとかすごいとかではなく、使う頭が違うのだ。

子どもたちは乳幼児期を卒業した。最近は赤ちゃん育児と仕事の両立に追われたフェーズから、子どもの精神的な成長をサポートしながら自分のキャリアにもう一度しっかりと向き合うフェーズに入ったと感じる(まだまだ時間のやりくりは大変だけれど)。

今まで考えることから逃げていた私。きっとこの壁が現れたタイミングは、必然的なものでもあるのだろう。

この壁を乗り越えて見えた景色を、ここでいつかシェアしたい。

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