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消化しきれず壊れそうになる。

こんなに身近にいたレズビアンとゲイの友達。

今日は、2人の友達が自分自身についてカミングアウトしてくれた。その場では、思った以上にすーっと自分の中で理解できたように感じました。

でも、夜になったら、涙が止まらなくなりました。

二人は、そのことを言うことにすごくすごく勇気が必要だったと思う。そのことを想像するだけで、胸が苦しくなった。二人はこれまで私が経験したこともないような痛みを抱いてきたのだろうな。

でも、私になら言ってもいいんだ、と思ってくれたことは素直に嬉しかった。今まで外から見たら静かだけど、内側ではぐらぐらと動く何かを抱えてきた二人は、苦しみや痛みを味わった分、誰かに共感することができるのだろうな。

もう一人の友達は、中高時代のクラスメイトが1か月前に自殺で亡くなったことで、夜も眠れない。

ああ、それぞれ痛みを抱えながらも、とにかく「生きている」のだなと、感じた。


私は、誰かの痛みを完全には理解できない。


つい最近、家で飼っていた猫が亡くなった。母が、伊勢丹の裏から拾ってきた「イセちゃん」だ。

正直、彼女が家に来た時、私は、イセちゃんに無関心だった。また、お母さんが猫を拾ってきたと。彼女は、耳が削げ、皮膚がんだった。ゲージの中でじっとしていた。

彼女は何を考え、彼女に悦びはあるのか、と疑問に思った。次第にゲージから出て、よろよろと動くようになった。人懐こかった。

でも、私は純粋に心からかわいい、愛しいとは思えなかった。

耳の傷口から出る異臭を嫌った。

でも、私に身体を摺り寄せる彼女は、私をジャッジすることなく無条件に私を慕っているように感じた。

彼女は、とても優しかった。

私なんかよりずっとずっと偏見を持っていない無垢な奴だった。彼女の姿を思い出そうとしてもなかなか思い出せない。でも、鮮明に覚えているのは、彼女が亡くなる前日に私の腕の中で痙攣している苦しそうな表情とそのか細い身体の感触だ。

こんな時だけ、涙を流す自分がとてもずるいと思った。都合がいいと思った。大して、愛してなかったくせに。死ぬ間際だけ悲しんで。


最近思うことは、一人一人の喜びや悲しみ、苦しみなど様々な感情を知れば知るほど自分の中で消化しきれなくなって、壊れそうになること。

それでも私は人間として生まれてきてしまった以上、知り、考え、行動していく責任があると思う。






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