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豚汁とあんぱんと昆布のおにぎり

今年もまたこの日がやってきた。

1.17。


それはただの数字の羅列じゃない。

先日夕暮れに車を走らせながらふと見上げたいつもの山に、その灯りを見つけた。

そうか、もうそんな時期なのか。


1.17 という文字に込められた想い。

わたしは何年経っても、どこに住んでいても、きっとその灯りを見るたびにあの日のことを思い出す。

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26回目の1.17を迎える前日の昨夜、とあるオンライン講座に参加した。

神戸で震災を経験したひと、震災の後に生まれてきたひと、よその土地で暮らしていて当時の状況をメディアでしか知らないひと、それはもういろんなひとが集まって話をしていた。

震災当時の映像も流れる、と聞いていたその講座を、わたしはとてもひとりで観る勇気がなかった。

脳の裏っかわ、奥の方のどこかにぐるりと回して閉じ込めてあるあの日の記憶が鮮明に再生されたら、わたしはそれを真っ直ぐに見つめることができるだろうか。

とうてい自信がなかったわたしは、直前まで参加を迷っていた。

結局いろんな偶然が重なって、講座には出られたけれどだいぶ遅れてしまい、そのおかげで冒頭に流れていたらしい当時の映像を観ることなく参加することができた。

それでも、たまたま話題にのぼった町名を聞いているだけで、あの日の焼けゆく街の温度と匂いが鮮明に浮かんできて、途中からはもう涙がこぼれないように黙って画面を見つめているのが精一杯だった。

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そんな中、わたしと同じように気づいたら被災地のど真ん中にいて、こども時代を【復興】の二文字とともに過ごしてきたあるひとが言ったことばが、ふいに胸に響いた。

「豚汁はあんまり好きじゃなかった」


もうそのひとことでなんだか彼の言いたいことが全部わかったような気がした。


わたしにもおんなじような思い出がある。


当時の被災地では、あちこちで炊き出しが行われていた。それはもう毎日毎日、どこかで。

近くの小学校に避難していたわたしたちも、それをよくもらいに出かけた。

寒い冬に被災したひとたちになんとか温かいものを。そういう想いで届けてくれたのであろう、炊き出しのメニューの定番は豚汁だった。


またか…

ということばなんて、許されない雰囲気。

どうぞと差し出されたら、ありがとう、としか言ってはならないという無言の重圧。


けれど、ほんの小さなこどもにとって、それはとても酷なこと、だったのだろう。きっと。


心のどこかに押し込めて、すっかり忘れていた記憶がするすると流れ出てきた。

わたしにとってのそれは、大手パンメーカーのあんぱんと、三角の海苔に包まれた昆布のおにぎりだった。

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震災当時高校生だったわたしは、なんとなくなりゆきでボランティアみたいなことをはじめていた。

幸い被害があまりなかったため自宅へは戻れたものの、校舎が避難所となっていた高校はしばらく休校で、することがない。

家にいても暇だし、避難所へ行けば食べ物がもらえる。近所に住む友人たちの多くはまだ避難所生活だから、行けば会えて暇つぶしができる。そんな単純な理由で、避難所をあちこち巡りながら毎日を過ごしていた。そうしていると自然と、若い人手が欲しいところから声がかかって、なにかとお手伝いをすることになる。

ボランティアといっても、たいていは救援物資の段ボールを運んだり、荷物を整理したりする程度の簡単な作業で、たいしたことはなにもしていなかった。

それでも、避難所でボランティアをしていると、とにかく感謝される。動くのが大変なお年寄りなんかは特に。そしてみんな必ずといっていいほど、毎日配られる食料を貯め込んでいて、それを感謝の印にくれるのだ。

「若いからお腹空くやろ?これ持っていき!!」

日持ちNo.1の救援物資の王様・あんぱんと、前日の夜にもらってきたのであろう、すっかりパサついた昆布のおにぎり。

あれ?これデジャヴかな?っていうくらい、その2品の姿を見た気がする。

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どこに行っても、完全なる善意から差し出されるそれらにわたしは正直うんざりしていた。

そんな自分に罪悪感を感じながら、断り切れずに結局数個は持ち帰って家族に手渡す、そんな日々。


おにぎり、おにぎり、あんぱん、またおにぎり。

ありがとう、ありがとう、いやもうようけもらってるからええでー、うーんほなもらいますね。


いったいいつまで続くのだろう。


食べ物があるだけありがたい、それはまったくの正論だ。だけど、だけどね。そろそろパンとおにぎり以外のもの、食べたいな。

そんな風にこっそり思うことすらまるで重罪のようで、勝手にじわじわと心が締め付けられる。


わたしの中ですっかり、遠い記憶の彼方に押しやっていたそんなエピソードを、そのひとの一言が鮮やかに甦らせた。

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そしてそのあと。

講座を終えて外出先から戻ったら、本当にたまたま用意しかけていた豚汁が目に入った。

そうだ、わたし家を出る前に豚汁作りかけて出かけたんだった。


こんな偶然ある!?

驚きつつ、入れ残していた具材を足して、味噌を溶いて仕上げる。

お正月で白みそを使いきってしまって、今日のは茶色いお味噌だけ。

いつもはちょっと甘めのうちの豚汁が、なんだか知らないどっかよそんちの味みたい。

それがまたあの震災後の炊き出しを思い出させた。


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豚汁とあんぱんとおにぎりと。

わたしの中の、しょっぱくて、甘くて、もういったいなに味なんだか、完全には消化しきれない想い出たち。

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けれど、今日ひとつ嬉しかったこと。

終わるまで退屈そうに隣で別のことをしていた娘と帰りの車で話してみたら、ちゃんと講座の中のみんなの話を聞いていたみたい。その流れであの日、高校生だったわたしが感じたことを、少し話した。

こうやって、震災を知らずに生まれたこどもたちに、もしあの日のことを聞かれたら、自分の目で見たことを伝えていける。それだけでいいのかも。


そして、これからもうちの味の豚汁をつくりながら、誰かにお椀を差し出していこう。


別に要らんかったら、いらんって言ってもええねんで。

無理にありがとう、って言わんでも、ええねんで。


そんな話をしてあげよう。いま、思い出したから。


そうして神戸の、長田の、わたしの1.17、を語り継いでいくこと。

それがわたしにできるなにか、なのかもしれない。



そんなことを思った、26回目の1.17。




合掌。

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