もうすぐ春が来るね。楽しみ。/あらためて、持病が再発したご報告


こんにちは、千川の10番です。

だんだんと気温が暖かくなってきましたね!もうすぐ春が訪れるのだと思うと、心から嬉しい気持ちが湧いてきます。
春が来て、その気温や空気感の中で過ごしていると、なぜかうとうとしてしまって眠たくなったり、気づいたら寝てしまっていた…などという経験はありますか?

俺は、しょっちゅうあります。笑
でも、どうしてもその心地良さや何故かどこか安心感があって、思わずうとうとしてきてしまう春の空気感が、俺は本当に大好きです。

そんな春が、もうすぐそこに迫ってきていますね!とっても楽しみで、生きていてよかったな…という気持ちにもなります。


ですが、一つここでご報告があります。
いつもお読みくださっている方に少し悲しい思いをさせてしまう懸念はありつつも、大事なことなので把握の程お願い出来れば嬉しく思います。

千川はこの度、寛解状態にあった持病を再発させてしまい、療養期間に入りました。
以前よりこのnote『数字たちの毎日』をご覧の方はその類の記事を何度か目にされたこともあるかと思いますが、何回か話題にした「人格のコールドスリープ」等ではなく、物理的、精神的に千川の肉体に宿る人格の全体が今、療養期間に入っていて心身の休息をとっている、という状態です。

この病気とはもう15年程の付き合いがあり、平均して3年に1度くらいのペースで再発しており、罹患、寛解、再発、寛解を何度も繰り返して、長い付き合いをしてきました。

病気の内容ですが、中程度~時と場合により重程度の症状が出てしまう鬱病です。

今はそんな状態なのに反してどうしてnoteの執筆などができているかと言いますと、鬱病といえど波があり、調子のいい時は無くはないからです。
ですが調子の悪い時は本当に酷く、部屋の中はおろか、ベッドから一歩も動けません。
その時に何をしているのかと言うと、生きて自分が存在することに対しての罪悪感に襲われ、ひたすら希死念慮と戦い、自傷行為やオーバードーズをしたい衝動を必死に抑え、呼吸を荒くなってしまい動悸も止まらず、絶えず起きるパニック発作を止めることに一生懸命になり、堰を切ったように過去のトラウマ的な記憶が頭が無限にリフレイン再生され、涙も止まらず、時には大声を上げて泣いてしまいます。生きた心地は全くなく、完全に生き地獄です。勝手に「死にたい。死にたい。死にたい。」という声が頭の中で反芻されてしまい、どうして死にたいと半自動的に思ってしまうのかもまるでわからずただただ混乱状態に陥る。
…という感じでして、酷い時は本当に酷いです。
調子のいい時が訪れるだけで今はとっても幸せで、心が平穏を保てるのは決して当たり前では無いのだと、この身を介して実感しています。

酷い時と調子のいい時で差があるのは、躁うつ病なのでは?と誰かに聞かれた時のために一つアンサーを自分なりに出すのであれば、躁うつ病の場合は躁状態と鬱状態の切り替わりがもっと極端で、例えば躁状態の時は気分がアッパーになりすぎて散財してしまったりハイテンション状態が止まらず早口でエンドレスに喋り続けたりと、とにかく極端に振り切った明るさがあったりすると思うんですけど、この例えに出したような状態は自分には見受けられないことと、再発をする度にお医者様を変えて診察していただいても「あなたは躁うつ病ではなく鬱病ですね」と同じ診断を毎回いただくので、躁うつ病ではなく鬱病なことが確定しています。

それと、”調子のいい時”と表現していますが、調子がいいといえど、酷い状態の時と比較した場合においてなだけであって、この文章も記事を書くボタンをタップしてからもう既にここの時点で一時間以上が経過していまして、文字を打つのにも、シンプルに何か物事一つ考えることに至っても、思考回路が巡るスピードの体感が寛解状態時よりも極端に落ちています。
元々食事を摂ることに極端に執着がなく、食欲促進のための内服薬を処方していただいていますが、それによる対処を行った上でも、今はほんのたまに食欲が湧くくらいで、食欲が湧くと「やった!今日は食欲が湧いた!」と感じたりしています。
外出も近所に買い物の用事にほんの10分ほど時間を割いて出歩くのでギリギリで、タイミング悪く外出時に調子の悪い状態の兆しが見え出すと、家はすぐ近くにあるにもかかわらず無事に家にたどり着くのだけでもかなり精神力を使い、家に着いた時にはだいたいパニック発作が起きていて、今度はそれを止めるのに必死になります。

発声に関しても波があって、調子のいい時でも以前のようにハキハキと目を見て喋ったりすることが難しく、下を向きがちで言葉も寛解状態時と比べると全然上手く出ません。
酷い時はもっと極端で、声はかすれてか細くなり、吃音症のような感じも結構見受けられ、例えば「あの」を発しようとすると「あ、ああ、あ、あ、あ、あの」というような音が出てしまいます。

シャワーや入浴も、入るのにものすごい体力を使うので調子のいい時が運良く長く継続したタイミングを見計らって、2日か3日に一度入っています。
元々美意識が結構高く、身体が汚れているのは性にあわない感覚があるので、一瞬だけ調子のいい時が訪れたりしたらその時をチャンスと捉え、蒸しタオルで体を拭いたり髪のブラッシングを行うなどして、できる範囲でなるべくの清潔感を保てるような行動をとっています。
趣味にしている読書や映像作品の鑑賞などもかなり困難なので、調子のいい時で且つ、「今なら心から楽しめそう」と思えるタイミング以外は休息に徹しています。

しかし上記の事柄たちはまだ自分にとってそこまで心が痛ましくなることはなく、なぜならもう15年の付き合いにもなると、ある程度ルーティーンのような感覚があるので、「再発したら自死しようとする衝動を抑えつつ自宅療養に徹する」を心がけ、それに努めればいい話なので、もうだいぶ慣れてきていることもあり、闘病は毎回辛さはどうしてもありますが、「何度も寛解までもっていけているのだから、今回もきっと寛解できる」と自分に対してある種の信頼をおけています。

しかし、予想以上に今辛いのは、元より罹患しているこの病気と戦わなくてはいけないが故に、年末前からようやく始められた音楽の活動を一旦ストップさせなくてはいけなくなったことです。
周囲の親しい人たちが、いくつか既に出した作品たちに対して心から嬉しい気持ちになるような感想をくれたり、レコーディングでお世話になっているスタジオのスタッフ様方もとても心優しく素敵な人ばかりなので、その方々に今は会えないのと、
寿命を削られるような感覚にもなるほど、心から夢中になれて魂の叫びを込められて、毎回全身全霊で打ち込みたくなるほど大好きなレコーディング作業に今は取り掛かれない現実が、とても悲しくて耐え難いのです。
スタッフの方々にも持病が再発して療養期間に入るため暫くスタジオに顔を出せないことは報告をしたのですが、とても気にかけて下さり、「たくさん休まれてくださいね」と優しい言葉を下さいました。
お心優しい方々とお会いできたご縁に心からの感謝の気持ちが止まらないのと同時に、そんな方々と一緒に作業することが出来ないのが、とても悔しくて、やるせなくて、どうにか早いところ寛解に持っていけないものかと、焦燥感も相まって辛いです。

外出は近所の買い物がギリギリだと上述したかと思いますが、療養期間中はどうしても、電車に乗ることが難しくなってしまうんです。
ひとたび勇気と気力を出して乗車できたとして、すれ違う人たち一人一人のことが何故か怖くて仕方なくなり、過去に受けた電車内での性被害のトラウマも蘇りそうになってしまい、とにかくパニック発作ととめどなく溢れてきてしまう涙を対処するので一生懸命になり…と、とても平常な顔をして乗車し続けることが出来ずにいまして、かなり困ったものです。
そのため、歌のレコーディングのことも含め、行く予定だったイベント事や通っている整体院などの予定も、向こう1ヶ月は致し方なく全てキャンセルをしました。

鬱病とひとえに言えど人によって程度や症状の出方は様々ですが、自身に今起きている事態を一例として、こんなパターンもありますよ的な感じで、誰かの参考になれたらいいな…という気持ちを込めつつ、執筆いたしました。

きょうはちなみに、かなりレアな日で、調子の良さを感じ取れた瞬間から3時間ほどが経ちます。
その内2時間はこの記事の執筆に使ってしまいましたが、たとえ今の状態で執筆にもかなりの時間を要してしまったとしても、それでも鬱とはどのように辛いのかを、読んでくださる方に少しでも理解が広まったら…と願っていたのと、後々無事寛解まで至れた時に自分の今のその寛解状態も当たり前ではなく幸せな状態なんだぞ、今を大事にしてね、という、ある種の過去(今)の自分から未来の自分に向けてメッセージを送りたかったのです。
それぐらい必要な作業だと直感し、執筆するに至りました。


今日はもう結構、フリマアプリで出品していたお品が売れたのでその発送や、2Lのペットボトルの天然水を買いに出歩いたことで結構既に体力を使ってしまったので、この後は思いのままにゆっくり休息を取ろうと思っています。

鬱のつらいほうの波が来たりしたらなるべく内服薬を服用するなどのことをして、できうる限りのセルフメディケーションに徹して上手くやり過ごそうと思います。
幸いなことに、心の距離感が近しく定期的に連絡をとってくれる人たちは優しい方ばかりなので、「何かあったら頼ってね」と言ってくださる人には、こういう時は思い切って甘えさせていただこうと思っています。


そんな、話でした。
柄にもなくオチも上手くつけられず、ただの生存報告でしかありませんが、読んでくださってありがとうございました。

noteの題材にする予定だった資料に目を通すことも、今は著しく集中力が欠けているため、お休みさせていただいております。

例によって、いつのタイミングで次にnoteに浮上できるかはわからないのですが、もし浮上した際はご反応などいただけたりしたらたいへん嬉しく思います。
それでは、今日はこの辺で一旦筆を止めることにいたします、
どうかまた会えますように。失礼します。


千川 悠里(10)

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