僕は諦めて見捨てる。君は、泣きながら助けようとする。【15】


こんにちは、前回の発達とかMBTIのことに触れてみた記事にご反応くださった方、ありがとうございます!僕としては初めて記事を書いてみたものでしたので、ご反応いただけたりフォローまでしてくださったり、とっても嬉しかったです。
顔も見えない、声も聞こえないのに、文字だけで誰かに認知してもらえるの、ふしぎな感覚だね。インターネットの世界はよくもわるくもですが、優しい方に出会えるととっても心がぽかぽか状態になります。春の気温じゃなくてみなさんのお気持ちがあったかいです。あったかくしてくださってありがとう。優しいね。


でも僕としてはけっこうふつうというか、あくまで僕の中で一般的な感覚を書き記しただけなので、僕の内面がすごくやさしかったりとか、そういうわけじゃないので、そのあたりは適度に期待しないでいただけるととってもありがたいです。ごめんね。

僕ももっと優しい人になってみたかったですが、優しい人として生きるリスクを考えると怖いなと感じてしまい、ふりきった優しさを持って生きることは意図してやめています。

近しい人にはちょっとだけ甘えてみたりもしますが、もう心から誰かを信じるとかは僕の人生の中でおそらくないかもです。「大好き!」は言っても「信じる」は言えそうにないと思ってます。どんな近しい間柄でも裏切りは発生することはあるからです。生きてればよくあることです。

僕はごく近しい人が悲しい目に遭ってボロボロに泣き崩れる姿を何回も見てきました。
誰のことかというと、お休み中の10番のことです。

彼には過去にお友だちや恋人、家族仲の人がDVをする恋人の言いなりになって目が死ぬ姿、マルチ商法に浸かりこんで目の焦点が合わなくなった姿、「〇〇さんを信じていれば余命宣告されるほど悪化したガンも治る」など言って聞かなくなった姿、色んな人の悲しい姿を見送ってきた過去があります。

大切な人が視野狭窄になり極端なことを言ってこちらの意見に聞く耳を持たなくなる姿を見ても、何回見ても、誰を相手にしても、彼は諦めずに泣きながら何度も説得を繰り返したりしていました。
「どうしたんだよ。お願いだよ。目を覚ましてよ。もう一回考えてみようよ」
そう言う彼に、無言になる人。鼻であしらう人。物理的な暴力をはたらく人。
色んな人がいました。

人間、変わる時は簡単に変わっちゃう。
それまでのことが嘘かのような振る舞いを突然しだしたりする。
彼はそんな人たちとさよならする度に、「俺はまた何もできなかったよ」と嘆いていました。
かわいそうに。

「かわいそうに。」と僕が思うのは、本心です。
だって僕だったら、目を合わせてお話してくれなくなった時点で、キツくない声色でできるだけの説得をしようとしても聞いてくれなかった時点で、
「あ、今この人に何を言ったところで聞いて貰えないや!じゃあ帰ろう!今はご縁のないタイミングなんだな!」
と思って、帰っちゃうからです。
「そっか…」と肩を落とす姿も披露しておきますが、ただのパフォーマンスです。落ち込んだように見せとくっていう性格の悪い僕からの社交辞令のプレゼントです。

僕は、視野狭窄になってしまった人に対してははっきり言ってしまうと、用がないんです。
視野が広くて、盲信的でなく、客観性に長けた人をかっこいいなぁと感じるし、その逆も然りだからです。

だから僕はほんとに優しくないです。
ゆるいアホみたいな口調でいつも人とお話するんですが、雰囲気と口調がなんとなく柔らかそうに見えるだけで、内面的なところには影響していないです。

10番の彼はそれに反するように、どんなに近しい間柄の人にも間違ってると思ったらあえて感情的になって指摘するし、泣きついて「お願いだよ、お願いだよ、目を覚ましてください」と懇願したりします。

彼は口調もちょっとキツめではっきりとした物言いを好み、喜怒哀楽もろもろを全力で表現する人です。
だから楽しい雰囲気なときは何かが起こることはないのですが、怒と哀に関しては別です。
ショック療法でもないのにキツめの口調で怒ってみたり、声を上げて泣いたりすることもあるので、周りの人は引きがちというか、よく驚かれています。

相手が大切だからこそキツめの口調になってしまったりするのが彼の癖なんですが、それを受けた誰かは「否定された」と感じてしまったりします。
結果、彼はボロクソに叩かれたり反撃されたりしてさらにズタボロになります。

人間はショックを感じると否定されたのだと脳が認知してしまうし、そもそも脳は否定形を理解出来なかったりします。だから悲劇が起きます。
あと、視野狭窄状態の脳みそは物理的に萎縮しているそうです。通常の働きがもう不可能になっているんですね。そんな状態なのでショックをさらに受け入れることが難しくなっているんです。

しかしなんといいますか、彼のしてきたことというのは人道的に考えれば間違いを犯したわけではないですし、やり方や方法を工夫しなかったことが落ち度なだけであり、優しすぎたが故の弊害でしかないと思います。
彼はたいへん不器用です。それに、大切な人の悲しい姿を目の当たりにしたらパニック状態になって冷静さを保てないのも不自然ではないと思います。

僕は内的家族だからといって彼のことを全肯定しようとは思いません。やっぱり良いところもあればわるいところもある人です。

でもそれと同じように、大切な人を本当に思うなら時に全肯定的なコミュニケーションが取れなくなることも仕方ないと思うのです。
間違っているなと感じてもイエスマンでいるべき?「いいと思う!」と、思ってもいないのに肯定するべき?
それはおかしな話かと。
それは優しさじゃなくて、甘さになっちゃってるんじゃないのかな。
甘やかし甘やかしでいさせたら調子に乗って悪さをする子供がいて、そして叱る羽目になる親御さんがいるように、甘やかすだけのコミュニケーションは良しとされないべきかと思います。


それと、大好きな誰かが悲しい目に遭って辛く感じるのは普通のことだと思いますが、一人の人に固執・執着せずとも、またきっと素敵な誰かには出会えると思います。70億人くらい人間はいますし、しっかりした心の芯とブレない軸を大切にして生きていくなかで、またいいご縁はあるとおもいます。

良縁があり、悪縁があり、結ばれる縁もあれば切れてしまう縁もあります。
ならば、今はもうご縁がなくなった人に頓着するよりか、また次に繋がるいいご縁を楽しみにしていた方が、平和です。

僕はこれから繋がることになる誰かとのご縁を楽しみにしてます。
寂しい気持ちになることもたまにあるけれど、今までひょんなことから誰かとめちゃくちゃ仲良しになったりしたことを思うと、そういうことがまた起きてくれるんじゃないかな~と思っちゃうのです。
期待と言うよりはいつも人生そんなものだったので多分またなんかいい出会いがあるんだろうな~っていう気持ちになるっていう感じです。


ここまで読んでくださった方、もしいらっしゃいましたらありがとうございます。(*ˊ ˋ*)
僕は上述の通り過度な優しさなどは持っていません。ですが、みなさんの優しさにはとっても感謝です。

僕がこれからの人生にまたいいご縁がありますように~と思うと同時に、ここまで読んでくださった方にも良縁やステキな出来事が訪れますように、と願いを込めて、この記事はこんなところでしめくくりたいと思います。
本当に読んでくれてありがとう(o^ー^o)Loveです!Love!Love♡♡

それでは、またねぇ(∩'ω')⊃━━━━━☆゚.*・。



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