見出し画像

ワタシにとっての癒しってなんだろな

いつからなんでしょうね。
癒し
という言葉が飛び交います。

以前、ワタシはこの癒し って言葉に違和感があって、
聞くだけでイライラしちゃうって時期がありました。

猫が癒し💙 って聞いても、そういう瞬間もあるけど、
それだけじゃないじゃん? うちにもかわいい猫がいるけど、病気が心配だし、手間暇かかるわよ? 癒しだけじゃないけど?

温泉いくのが癒し💙 って読んでも、入ってる時間はそうだけど、往復疲れるし帰宅したら洗濯物増えるし、ほんとにそう?

美味しい物食べるのが癒し💙 って言われても、ダイエット観点からいうと、そうでもねーしなぁ。


ワタシって、人と違うことしたがる天邪鬼なの。
それに、マスコミに乗せられちゃった感満載の癒しブームになんて、悪いけど振り回されないんで。みえみえですよ。こっちは見透かしてますよ、その売り込み! って思ってたけど、いやいや……

オレ、ただのつまらないこというつまんないヤツだった。


って気づいた瞬間かあって、その瞬間から切り替わった体験があります。

あ、瞬間で切り替える体験というのはこの時だけじゃなく、ワタシには何度かあるんです。だから人は変われるよ?あたしかわったもん?と思ってるんだけれど

癒し🥰とデレデレしたり、ヘラヘラしたりするようになって、カレコレうんじゅうねん。

いまや、癒しの泉の住人です。

旅行は、荷物片付けて、洗濯終わらせて、最後にいくら使ったかチェックするまでがワタシにとっての旅行ですが、その全ての時間が楽しい。

猫は一緒にいる時間が楽しいのみならず、見送った猫たちの存在を、いまでもこの世に感じてます。その哀しみと届かない愛おしさまで込めて、猫を愛してます。

美味しいものを、ワタシは好きな人たちと食べたい。ダイエットから離れちゃったとしても、美味しく食べられる健康があって、楽しく食べられる気持ちがあって、一緒に分かち合える1がいる。サイコーぢゃね?

癒しと幸せはとても似ていて、どちらもワタシのチューニング次第みたい。

つまんねーやつだった頃の方が、自分の時間もお金も若さもたっぷりあったわけで、つまりワタシにとってそこは、条件ではないのです。

どうも、癒しや幸せに気づくには、心の熟が、必要な人間だったようてすね。

いまではもう、二度と尖った感覚で生きられない。だって、疲れちゃうんだもん。

だから、あのころたっぷりとんがって、いきがって、傷ついたりつけたりして、その感覚を魂に刻み込んできて良かったな、と思ってます。

物分りのいい大人になんて、絶対なんねー!!
って自分に宣言してたのに、気づけば
若者(うちの子たち)に、物分りよく暮らせとか言いがちな大人になりかけてて、ハッとします。

自分の肌感覚で理解できるようになるまで、
放置してても人でなしなんかじゃないから。

人と理解度数が違っても、バカじゃないから。

多数決で負けて凹んでも、その凹みにはそのうち、凸がどこからかやってきて、ゼロになるから。

つまり、いまのまんまで大丈夫ってことに頷くのが、癒しにつながったりしてる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?