柚木菜ユキナ

はじめまして。柚木菜といいます。スピリチュアルや好きなアーティストの米津玄師について書…

柚木菜ユキナ

はじめまして。柚木菜といいます。スピリチュアルや好きなアーティストの米津玄師について書いています。

最近の記事

フラワーウォールと米津玄師の初恋

三つ子の魂百までという言葉がある。これを「宿命」と取るか?「運命」ととるか? 前世があるのかはさて置いておいて、心が躍るような「思い」を感じた時、私たちはそれを「運命」と呼ぶのだ。 そして「運命の出逢い」とは、大抵男女の出逢いを言う。 恋愛の定義は、ただただ1つになりたいという「本能」である。ところが、それを阻む「何か」がある。 それを米津玄師は、「flowerwall」と名付けた。 2015年10月にリリースされた「Bremen」と言う米津のアルバムは、他のどのアルバ

    • チェンソーマンという漫画を媒体としての友情

      米津と常田大希の対談から、今回は米津の「友情」に関して書いてみたいと思う。 さて、ここである意味「哲学的に」、「友情」を考えて貰いたいのだが、これはある種、同性同士の「愛」であると思って頂きたい。 そしてそれは、「私だけはあなたを知っている」と言うステータスに 通じる。男女の場合、好きな人を独り占めしているという「優越感」であるのだが、「私はあなたを知っている」と言う、まやかしの「愛」こそが、友情を醸し出す、それは早い者勝ちのような、もしくは「正しいこと」、そのものが「愛

      • メランコリーキッチンに見る今後の家庭観

        狂気と正気の境目、夫婦喧嘩の時は台所に逃げてはいけないなどと言う。 平成中頃に問題になった「キッチンドリンカー」、非常に古い言葉だが「男子厨房に入らず」などと言う言葉もある。 さてあなたは「キッチン」と「台所」では、どっちがしっくりくるか? また「シンク」「流し」という言い方もあるが、正しい意味合いは置いて置いて、そこそこの家庭での言い方があるだろう。 「キッチン=食卓」という家庭も多い。そういう意味では、家族が集まるのがこの「キッチン」であるという言い方もできよう。

        • 米津玄師の「恥ずかしくってしょうがねえ」に関する考察第2弾

          去年12月から米津玄師について書き続けてきた。この記事を読み続けて下さった方々は、「私」というフィルターを通した米津玄師を感じて下さっただろうか? 「LADY」から右目を出してのMVを出し、ファイナルファンタジー16の主題歌「月を見ていた」、宮﨑駿監督「君たちはどう生きるか」主題歌である「地球儀」をリリースした。 怒涛のこの1年を、私は米津の曲と共に過ごした。 そして2022年は「変身」、2023年は「空想」と、コロナが蔓延する中米津が挑んできた「ライブ」は、ある意味彼の

        フラワーウォールと米津玄師の初恋

          米津玄師の「恥ずかしくってしようがねえ」から見る感情

          新しい思想としての若者言葉、それはきっと古くからある。なぜならば、「言葉」は少しずつ変わって来たからだ。 「恥ずかしい」それは、全てのキーワードである。これは「感情」なのか、「道徳」なのか? 「裸が恥ずかしい」のは、古今東西普遍の意識である。「罪」が後悔ならば、「恥ずかしい」は「罰」としての意味合いを持つ。 言葉を略するようになったのは、いつの日からなのか。 「恥ずかしい」を「ハズイ」、「気持ち悪い」を「キモイ」など、短絡的に言葉を省略する、それはいつも若者から発してい

          米津玄師の「恥ずかしくってしようがねえ」から見る感情

          「カムパネルラ」から読み解く、あなたの世界

          7月で終了した今回の米津のライブ「空想」は、この曲「カムパネルラ」から始まる。上記抜粋部分は、米津独特の、また米津らしい言葉である。 「カムパネルラ」は、宮沢賢治の最後の作品であり、未完だと言われている。「未完」でありながらも、多くの人に感動を与え、その姿を猫に変えて描いた「銀河鉄道の夜」は有名である。 そしてこの「空想」のライブの期間にオンエアされた菅田将暉主演の「銀河鉄道の父」は、宮沢賢治の半生を描いた映画であった。 米津の「カムパネルラ」の楽曲の後の菅田将暉主演の

          「カムパネルラ」から読み解く、あなたの世界

          米津玄師の「lemon」に関しての新しい見解

          多くの人の胸を打った米津の楽曲「lemon」。 2018年3月14日にリリースされたこの曲のレコーディングは、2017年の年末だったらしい。 「ヒットする」とは、「非常に成功すること」又は「売れること」を言うのだが、野球のヒットのように、「塁に出ること」すなわち、今までとは違う何かしらの「変化」を醸し出す。 今回は、「lemon」に関して新たな気づきを得たので、そのことについて書いてみたいと思う。 私の「lemon」に関して感じていたことを言うならば、どこか「綺麗ごと」

          米津玄師の「lemon」に関しての新しい見解

          米津玄師×吉田直樹-月を見ていた対談より

          復讐に憑りつかれた男としてスタートするクライブ、吉田直樹氏のFF16 での対談「月を見ていた」の後編を見て感じたことを話したいと思う。 「ファイナルファンタジー16」のストーリーを、ユーチューブにアップされているムービーでほとんど見させていただいた。それは1つの映画のように引き込まれるストーリーと共に、それぞれのキャラクターも個性豊かであった。 「月を見ていたMV考察」にも書いたが、ゲームと言うのは基本的に競い合っている。それはゲームの中はもちろんのこと、作り手側の吉田氏

          米津玄師×吉田直樹-月を見ていた対談より

          スピリチュアリズムと米津玄師とボカロとの決別

          何かしらの生きづらさと、今日までの自分の人生に後悔という汚点を 持っていないだろうか? 「良い時」というのは、いつまでも続かない。良いことが続くと「何だかこんなところで運を使っちゃった」などと言ってしまう。 私たちはいつもなぜか幸せに臆病だ。 去年12月から私は米津玄師のことをこのブログに書いてきた。 彼のもう一つの顔、スピリチュアリズムについて今回は書いてみたい。 彼の持ついわゆる負の点である「病気」についてここでもう一度考えて見たいと思う。 「高機能自閉症」だというこ

          スピリチュアリズムと米津玄師とボカロとの決別

          ライブのグッズに込めた米津玄師の思いと、写真集への思い。

          今回は米津のライブグッズについて語りたいと思う。 初ライブは2014年の「帰りの会」から始まり、こないだ終わった「空想」まで、米津はライブグッズを販売してきた。 彼はユーチューバーの方が得意としている「メイキング動画」をそれまで出してこなかった。けれど右目を隠しての最後の楽曲「KICKBACK」での常田大希さんとの対談の動画の中で、ほんの少しだけそのメイキングを明かしている。 その笑顔は米津自身であり、ファンに取ってある意味喜ばしく、ある意味複雑な心境を醸し出しただろうと

          ライブのグッズに込めた米津玄師の思いと、写真集への思い。

          外しの美学と米津玄師

          「平成」の意味は、国の内外にも天地にも平和が達成されるとあり、「令和」の意味は、「美しい調和」とある。 「美しい」とは何だろうか?米津玄師が言う言葉の中でよく使われる言葉が「美しい」という言葉だと、ファンの方はよく知っているだろう。 彼のヒット曲「lemon」は、とても美しい曲だ。「アンナチュラル」のドラマの主題歌として描かれた米津の代表作の「lemon」は、この「外しの美学」が満載されている。 「外し」とは、簡単に言うと「不協和音」のことだ。不協和音とは「美しいとされた

          外しの美学と米津玄師

          米津玄師の「月を見ていた」MV考察

          ゲームの世界はいつでも戦っている。もちろんその他のゲームもあるが、それがどこか物足りなく感じるほどに、ゲームの中では戦っている。 そして今回の奇襲とも言える米津玄師の「月を見ていた」のMVもまた戦っている。 ファイナルファンタジーをPlayしたことがない私が語るのも何だが、このゲームのテーマとしてはっきりしているのは「戦争」なのだが、その逆に「平和」がテーマだとも言える。そして「人が人として生きていく世界」という言葉から、平和を勝ち取った後の「人生」がテーマだとも言えるので

          米津玄師の「月を見ていた」MV考察

          ファイナルファンタジー16「月を見ていた」米津玄師

          米津玄師の楽曲「月を見ていた」は、ゲームのファイナルファンタジー16のために書き下ろされた曲である。 米津は誰よりも先駆けてこの「ファイナルファンタジー16」のゲームをやりこなし、そしてその世界観に伴ってこの曲を作った。 私自身もゲームは好きだが、なぜかこのFFシリーズだけはやっていない。なのでもしかしたらとんちんかんなことを書いてしまうかもしれないが、その辺は甘く見てもらえたら幸いである。 ゲームにあるのは、必ず「敵」である。そしてその世界観は「戦い」であり、最後にある

          ファイナルファンタジー16「月を見ていた」米津玄師

          米津玄師の歌詞の謎

          米津がデビューの頃よく言われたのが「歌詞が意味不明」ということだ。 彼の曲には、その意味が何となくわかるものと、まったくわからない辻褄の合わないような歌詞がある。 例にあげれば「しとど晴天大迷惑」「ホラ吹き猫やろう」「駄菓子屋商売」など、ノリがいいのでついつい聴いてしまうが、その歌詞の意味はというと「さっぱりわからない」という人も多いと思う。 ここで考察するのは、歌詞の意味の考察ではなく、米津の歌詞の作り方そのものについて考察したい。 どこかで辻褄が合うような気がするけ

          米津玄師の歌詞の謎

          夢と本当のはざまで

          米津玄師のアルバム「STRAY SHEEP」の中にある「感電」は、2020年7月に発表されたドラマ「MIU404」主題歌である。 MVのオープニングでの米津のアップは、当時話題になった。 この歌を聴いた知り合いのファンが、「米津さん、私を表してくれた」と言った。そのことに私は非常に興味を持ち、色々お話を聞いたことについて今回は書こうと思う。 米津の楽曲については、多くの人が歌詞考察をしている。「感電」についても色々調べてみたが、この曲を「自分を表してくれた」という人はいな

          夢と本当のはざまで

          米津玄師の両義性と石

          この記事は書いていいかわからないが、ヤフーの記事を見つけたので書いてみたいと思う。 私が間違っていたと言えば、「なぜ間違ったのか?」「間違えないためにはどうしたらいいか?」と問われる。 そうすると結局、自分をもっと良く見せていかなければならなくなる。 それじゃあどうするかというと、今度はこれをもっとよくするために努力することになる。そうこうしているうちに自分が何なのかわからなくなるのだ。 そこで出会ったのがその音楽だという。そしてこの音楽が「大衆音楽」なのだとするならば、

          米津玄師の両義性と石