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着地点はどこだ

 明日はかみさんの患者会、週明けは給与計算に労働保険料計算にヘルパー会議に担当者会議、その他に決算の締め処理など、ちょっと忙しいか。こうして6月も忙しさに流されて行くのか。それでも晴れたら自転車だ。

 ギャラリー嶋屋さんの「Color~陶7人展~」に立ち寄る。お馴染みの吉森睦子さんの作品から観て廻る。すると、ひと際と言うか釘付けになった作品が一つ。作家の甲斐さんには先にお詫びしておこう。ごめんなさい。

 タイトルは「Composition 段ボールコラージュ」、そもそも絵心とかArtな感性など微塵も備えない私であるから、まず率直な感想が、遊び過ぎた小学生が夏休みに、夏の友も読書感想文のほったらかして、追い詰められた挙句に工作を手掛けるも、明日から新学期という瀬戸際で、着想も材料も、さらには才能も圧倒的に不足、泣き泣き庭や倉庫を一回りして集めた材料を貼り付けた作品がこれだ。

 そんなおバカな感想を持ってしまう程の衝撃に、その場から離れきれずにいたという話だけど、この分かる人と分からない人の違いと言うか、バイオリンで言うところのストラディバリウスの音とそこら辺の安いバイオリンの音の違いが分かる人と分からない人の違いと一緒じゃないかも知れんけど、猫に小判的に、私にArtと言ったところでしょうか。だから、だからと言って、日曜日に作ってみようと思って出来るものではないと断言したいけど、でも出来そうな気もしないではないと、最後まで往生際が悪い。

 こうして考えると、先日の県立美術館の画家の先生方の力作を鑑賞して、なんと素晴らしいと言った顔で会場を後にしながら、ブツブツとあれは自分にも出来るんじゃないだろうかと、違う次元の鑑賞眼で作品に横やりを入れてしまうのはいけないことなのだろうか。かようにして芸術鑑賞とは着地点が見つからないこととみたり。20230616

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