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3/8:「吉良吉影を目指す」期

虐待や性被害のトラウマで依存症・PTSD・複雑性PTSDと、名前からして明らかにややこしい精神疾患を患っていた三森みさです。

▲8話まで無料公開中です。

▲先行公開の有料noteもあります。

今回は依存症・トラウマからの回復プロセスとともに、心境の変化をまとめてみました。全4回です。(※長くなりすぎて見づらいので8回分割しました)

▲他の回はこちらからどうぞ。

全て自分の経験で、エビデンスとか心理療法的にどうとかは存じませんが、回復を目指される同じ仲間の皆さんの参考になれば幸いです。




3:「吉良吉影を目指す」期

「どうせ私なんて…」を連発したり、人にイライラしたり、自分の首も絞めたり、そんな自分自身に疲れていました。
だんだんと「完璧を自分に求めるから苦しくなるんじゃね…?」とようやく気づきます。

そして、単位ギリギリでの大学卒業と同時に
「どうせ私は近いうちに気が狂って自殺するだろ!どうせまともに生きられない。だったらせめて残りの時間は好きなように生きてやる!!」
と、就職をぶん投げ、地元ではない沖縄に滞在し、小さな個人飲食店でバイトして生活することに。(沖縄を出る金がないのもありましたが)

誰も私を知らない以上、顔色を伺う必要はないし、仕事・学校・親、自分を縛って評価付けするものは何も無い…「私は自由だー!!!あっはっは〜!!!」と爽快感を感じていたのを覚えています。精神疾患ならではの行動力、最高にロックですね。

こうして支援につながるわけでもなく、貧しく、謎の体調不良に苛まれながら、しかし自由な生活の中で目指したもの。
それが「ジョジョの奇妙な冒険」に出てくる吉良吉影です。

吉良吉影とは彼↑です。

ジョジョの奇妙な冒険 第4部 ダイヤモンドは砕けない 12」より

激しい「喜び」はいらない… そのかわり深い「絶望」もない………「植物の心」のような人生を… そんな「平穏な生活」こそわたしの目標だったのに………

出典:ジョジョの奇妙な冒険 第4部 ダイヤモンドは砕けない 12

激しい喜びだとか、完璧にやらないといけないとか、自分の実力にあってないものをひたすら求めるから苦しい。
ならば吉良吉影をリスペクトして、「激しい喜びもなく深い絶望もない、植物の心のような平穏な生活(※殺人はしない)」「頑張りすぎない」「清貧譚」と、平成の後期とは思えない生活が始まります。


とにかく「刺激」を遮断する

この時期が7:「ドキドキ★安定」期と違うのは、トラウマの問題が根本的に解決してないため、刺激に耐えられず、生活に色々と制限をかけざるを得ないところです。
「激しい喜びはいらない」と、自ら植物の心のような人生をわざわざ選び取ってる吉良吉影と違って、私は平穏な生活じゃないと正気が保てないのです。

少しでも喜び(例:褒められる)があると、もんのすごい振り回されて大変なことになる。ならば、他者と関わる喜びも苦しさもしんどさも、俗世の騒がしさも、娯楽も、何もかも徹底的に刺激がない、平穏な道を目指す…。
そんな一人出家ごっこみたいなことをやってました。

この時期はやべ〜男以外はとにかく遮断していました。やべ〜男だけが最後まで遮断できなかった。
まずネット。ゲーム依存症の次に酷かったのがネットだったので、自宅にネットは繋いでませんでした。携帯だけ繋いでました。

そしてTwitter、もといSNS。
少なくとも精神疾患がある場合、ネガティブニュース、ネガティブコメント、逆にキラキラ写真、キラキラマウント、誰かの成功の話…などなどが大量に飛び交うSNSを見てると体調が悪く……ごめん嘘、誰でも体調悪くなるわ。でも常人の5倍ぐらいは体調悪くなります。
啓発をSNSでやりながら矛盾してますが、特に精神的にアレコレしてる方は、ある程度精神的に安定するまで、1日30分ほどにしておくのが一番安定すると思います。マジでセーブできないからな…

それから対人関係。
対人関係の交流も、同世代が特に悩むことなく仕事に努めてるのを見るのがしんどい。これはトラウマではなく、月収8万以下で自分の服も買えないような生活してたら、そりゃそうなるって感じですが…

あと、やっぱり人とのコミュニケーションが難しいし、人としっかり話したら次の日は休まないと動けないので、自然と交流関係は狭まるばかりでした。
言語化し難いのですが、とにかくどこか緊張してる。冗談がわからない。空気が読めない。どこかで警戒し続けてる、ひたすら相手への恐怖感が拭えない。などなどで人と話すのがとにかく苦痛。
なので、誰かに理解してもらうとかは全くありませんでした。
え?彼氏?父親のトラウマの再現かつ、理解のない彼くんだったので一番理解とかなかったヨ!!!若いみなさんは病んでる時の恋人選びは慎重になろうな!!!


「頑張ること」それ自体がトラウマ

子どものころから何をやっても親からダメ出しばかりで、褒めてもらえなかった。それはかなり大きかったようです。冗談抜きで両手の数も褒められた記憶がありません。
そうやってるうちに

ACならみんなやってるであろう、脳内一人言葉責め大会の図。

今回も絶賛大活躍の、自己批判のパーツが大活躍★
→いつもせき立てられるような気分から抜けることができなない
いつも自分はダメな存在だと思い続け、それが完璧主義や自己否定につながる
→ストレスで依存や自殺行為をしてしまう

というのは気づいてました。

だから頑張る力量をセーブする必要があったのですが、ここら辺で「いい感じにセーブしよう」ではなく「もう頑張りたくない。もう何もしたくない。全てから自由になりたい。」と極端に振り切ってしまうのが、ACというかなんというか…。
まあ、入院と同じように「休暇」でかなり良くはなったんですけどね。

この時期はフラッシュバックによる自殺未遂を防ぐため、ACのワークや親のことを思い出すとかも全く手をつけませんでした。
今思えば正しい判断だったと思います。やべ〜トラウマにいきなり手をつけなくても、セルフケアを習得することは、ある程度可能です。


とにかく自分を片っ端から褒める習慣をつける

「頑張らない」「自分のペースを守る」と決めたものの、日常生活で支障が出るレベルの謎の体調不良はなんとかしたかったので、健康法を色々やってました。瞑想・深呼吸・有酸素運動・ビタミンのなんたら、日光浴、などなど。これまた長くなるのでいつかどこかで。

一つだけマジで良かったことを紹介するなら、「自分褒めノートを作る」です。

  • とにかく褒める

  • 結果ではなくプロセスを褒める

  • 間違ってもこの時期は自分をけなさない。反省しない。改善点とか考えない。

  • 何でも褒める

  • 最初の頃は日付は書かない(続けられない罪悪感を解消するため)

とにかく自分を褒めましょう。褒めることに違和感があっても褒めます。むしろ違和感があるから褒めるんです。
褒める内容がなければ「今日は呼吸をした。100点」「とりあえずやる気を出した。200点」「片付けを5分した」でOKです。

これを続けると、少しずつ他人や社会の批評に振り回されづらくなりました。私の頭の中にいる自己批判のパーツは、「結果しか見てくれなかった親の言葉の集合体」だったからです。
自分のプロセスに淡々と注目することを続けることによって、「あれをしないといけない」「結果を出せてない自分はダメだ」という強迫観念からだいぶ楽になりました。

また私の場合、絵を頑張ってた時期でもありました。しかし周りからは絵描きを目指すものの通過儀礼である「絵でお金をもらうなんて無理だよ、社会を舐めるな攻撃」を見事に喰らっていました。
仕事も回復も何でもそうですが、大半の人はわかりやすい結果が出ないと応援してくれないし、それどころか何故か批判してきます。これが本当にクソだるいし、道を進む邪魔になります。

とはいえ若者には何か言いたくなるのも、最近わからんでもない

とはいえ、何も形になってない段階で認められるのもやっぱり難しい話です。
結局は他人がなんと言おうと、一定の結果が出るまで、粛々とできることを1日1日積み重ねること。これしか自分の現実を変える方法はありません。
そんな積み重ねが必要な日々の中で、他人の言葉に惑わされないためにも、褒めノートはおすすめの方法です(大概カウンセラーから教わると思いますが)

ちなみにこれ、トラウマ治療がほぼ終わって落ち着いた今でもやっています。自営業って、自分で自分を舞妓するのが本当に大変だから…(涙)


自分らしさの発見の期間

そんな極端すぎる引きこもり生活を5年ほどしていましたが、今振り返ればトラウマ治療の「リソースの獲得」期間だったように思います。
(※リソースの獲得=根本的なトラウマ治療に耐えられるように、土台を整える作業)

外部の情報を遮断すると、そこにあるのは「自分」だけでした。
そんな生活を送ると、何かの流行だとか収入とか年齢とか仕事とか、どうでもよくなってきました。
社会や他の人と比較しなければ、自分が体調不良でぶっ倒れても、「どうせ他人と同じ人生は歩めない。今ある自分で生きていくしかない」というちょっとした達観もありました。(それだけに心理療法で改善したときは感動…)

結局のところ、トラウマの症状そのもの以上に、心の内外にある「他人より劣っていてダメな人間である」が私を苦しめていたんですよね。

発狂して自殺するかもしれない爆弾を抱えて、社会から外れた生活をして、じゃあ「残りの寿命のうちに自分は何がやりたいんだろう…」が自分のテーマになりました。
ここまでくると完全に無敵の人だったので、一歩間違えれば殺人鬼になってた可能性もありましたが、運良く「絵を描きたい」があったので絵に集中することに。絵がなかったら人を殺してたかもしれねえ…

今読み返したら前向きで草

誰にも急かされず、意見されず。
ただ自分がやりたいと思うこと(絵)を積み重ねて、試行錯誤する日々。
体調不良の苦痛や貧困もありましたし、やべ〜男と絶賛ラリってはいたものの、まあまあ幸せを感じる時間も増えていきました。


そして健康法が功をなしたのか、活動時間も徐々に増えていって

酒よりもカフェイン!!!!!FOOOOOOOO!!!!!!

カフェイン錠剤をガン決めするようになりました(オチ) 
今振り返れば「寝ても寝ても寝足りない」も、トラウマの症状だったかもしれません。ともかく「強烈な刺激で解決すればOK★」という根性は治った訳ではなかったようです。

次回に続く!


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