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ジョン・チーヴァ―『巨大なラジオ・泳ぐ人』村上春樹訳、新潮社

アメリカ作家、ジョン・チーヴァーの短編集。各短編の扉に訳者である村上春樹の簡単な紹介があり、巻末には村上と翻訳チェックをした柴田元幸の対談が収められている。

チーヴァーは主に『ニューヨーカー』誌に短編を発表した人で、小説の舞台はニューヨーク郊外の富裕な中産階級の家庭が多い。彼はレイモンド・カーヴァーと親しかったらしいが、労働者階級を扱った短編を書いたカーヴァーとどこか似ている雰囲気もある。大きく違うのは、カーヴァーの描く男たちが自分のダメ具合をよく意識していて、妻や娘に甘えたい男であったのに対して、チーヴァーの方は妻をはじめとする同じ階級の女たちを見る目がひどく辛辣なことだ。読んでいるうちにそこに描かれている女たちの自己欺瞞にギクリとする。(しかし高級住宅地に住み、社交以外はやることがないような生活を送る女たちも、それなりに不幸なのだろう。)

アルコールに溺れがちだったのもカーヴァーと同じだが、チーヴァーが描く男たちはどこか自分がいる環境になじめず、その気持ちが積もり積もって狂気のようなものが生まれている気がする。それが典型的に出ているのが「深紅の引っ越しトラック」だろう。上品な高級住宅地に引っ越してきた男はお酒が入ると急に「あんた方は堅苦しい」と叫び、それからテーブルに上がって踊り出したり卑猥なことを口走ったりする。一同、びっくり。それを繰り返して彼とその妻はまわりから呆れられ、やがてまたその街から引っ越していくことになる。ところがそれを目撃する主人公の男も、それがきっかけとなって自分自身の狂気がにじみ出始めるのだ。

有名な(らしい)短編「泳ぐ人」は、ある家に招待されてその家のプールで泳いでいた主人公の男が、とつぜん「これからうちまで泳いで帰る」と言い出す。その街の家はみんな大きなプールを持っているのだ。彼は次から次へと家々のプールを泳ぎながら帰ろうとする。その突飛さだけでも驚くが、話はそれだけでは終わらず、SF的な展開になる。

うまい作家だと思う。ただ個人的には、苦さや辛辣さだけでなく、もう少し温かみがあればいいのにと思う。日本であまり人気が出ない理由もそのへんにあるんじゃないかなぁ。

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