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丸谷才一『輝く日の宮』講談社

贅沢な小説だなぁと読み終わって嘆息した。日本文学の若手研究者である主人公の安佐子と、その恋人で有能なビジネスマンの長良の恋愛が中心になっている小説だ。安佐子の研究ネタである『源氏物語』がこの恋愛にだんだん重なってくる。安佐子は紫式部に、長良は藤原道長に、さらには光源氏に…。

『源氏物語』の数々の巻の中で、かつて存在していたらしいのだが、どういうものだったかわかっていない巻、「輝く日の宮」。研究者の安佐子はこの謎の巻について大胆な主張をする。学会では権威のある学者たちから冷笑されたり批判されたりするが、面白い説ではあるのだ。語り手は、文学研究をめぐる人間関係をコミカルに描いたり、その象徴である学会の様子をパスティーシュする。きっとその分野の研究者が読めば「あるある」なのだろう。

日本文学はもちろんのこと、ときには作者の本来の専門であるイギリス文学の話まで飛び出して、わかる人にはわかる面白い文学ネタがいっぱい(たぶん)。そしてこの小説の文体自体も実験的で、変化に富んでいて飽きない。主人公が主張する肝心の仮説については、日本文学が専門の人も実はけっこう真剣に読んだのではないかな。それとも余裕を見せて一笑に伏したのかな。発表当時の反応を知りたい。

「輝く日の宮」についての安佐子の主張は面白いのだけれど、勘と想像によるところが大きくて、素人であるわたしが聞いていても「その主張は強引すぎるだろう」と思ってしまう。そして学会では『源氏』を専門にしている女性研究者もいて、この人が最後は割と感情的になってしまって、「まずは重要な先行研究を読んでからにしたらどうか。あなたは研究より小説を書く方が向いているわね」などと吐き捨てるように言う。そして安佐子は小説の最後でほんとうに小説を書き始めるのである。

丸谷才一の小説は『横しぐれ』や『樹影譚』を読んだことがあるが、豊富な文学の知識をベースに彼の好きな推理小説っぽい要素もおりまぜた構成で、感心はするのだけれど、ちょっと凝りすぎじゃないのと思ってしまうこともある。こってりしたフランス料理を食べた後に「おいしかった。でもわたしが食べたかった味とはちょっと違ったかも?」と思ってしまうような感じ。でも、今回の『輝く日の宮』は(ちょうどいま自分が道長に興味があることもあって)たいへん面白く、凝りすぎという印象も受けなかった。

藤原道長という男のことを知りたくて、いま並行して『道長ものがたり』という新書も読んでいる。もちろん大河ドラマの影響だ。ドラマでは若き道長が、正妻となる倫子と結婚してしまったところ。ドラマの道長はひたむきな若者だが、小説『輝く日の宮』の道長は中年になってから紫式部と関係を持つことになっているため、ぐっと成熟した渋い男である。交わされる二人の会話はなかなかの味。

ということで、わたしはこの小説を楽しく読んだのだが、ただ、丸谷才一だから仕方ないのかとは思うが、女性の描き方が「いかにも」な感じなのが残念だった。若手ではあるがちゃんとした研究者が学会で発言するとき、「あたし、この小説、とっても面白かったんです」なんて幼稚なしゃべり方するはずないでしょ…。

まぁそれはともかく、丸谷才一という人の文学知識にはあらためて感服した。文学的想像力を駆使して作家本人が推理をのびのびと展開している作品だ。現実の文学史から発想した小説という意味では、A. S. バイアットの『抱擁』がこれに近いかな。古典文学が好きな人はきっと楽しめると思う。


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