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山田詠美『つみびと』中央公論新社

オーディブルはお休みして、紙の本へ。山田詠美のイベントの課題本を読まないといけないため。こないだの『学問』についで、今回のはかなり重そう。

シングル・マザーが幼い子ども二人を放置して死なせてしまった実際の事件を基にしたフィクションである。事件を起こした母親(仮に母3と呼ぶ)だけでなく、彼女の母親(母2)、そのまた母親(母1)にまでさかのぼって物語が進むのだが、その進み方も交錯しながらだ。単純に言ってしまえば、「不幸の連鎖」か。それぞれの母親の不幸が入り混じって、ときどき重なって感じられる。

母1の夫は家の外では真面目な男だったが、家庭では何かのきっかけで突然に暴力を振るった。娘(母2)や兄は暴力に怯えて暮らす。その父が病死し、次に家庭に入ってきて父親代わりになった男が娘(母2)に性的虐待を加える。そのせいで母2は徐々に精神に異常をきたす。

母2は成人して真面目な男と結婚するが、その真面目さに耐えられずに子どもたちを残して家出する。真面目な夫は家事はまったくできず、長女(母3)は自分も小さいのに下の幼いきょうだいの面倒を見る毎日だった。

母3は地元の不良仲間とつきあって乱れた生活をするようになるが、バイト先で真面目な大学生と知り合い、結婚する。しかし夫となったこの男はマザコンで、子どもが生まれても親の家に入り浸るようになる。夫がいない間母3は昔の不良仲間の元に戻って遊び始め、それが夫や母にばれて離婚される。母3は誰からも助けてもらえず、セックス産業で働くが、ホストクラブで遊ぶことを覚えてだんだん子ども二人の面倒を見なくなってしまい、ついに放置して死なせる。

子どもの虐待の事件は多い。そういうことをする母親って、きっと貧困家庭に生まれて教育もまともに受けていないような、救いようのない人間なのだろう、親も親戚もみんなそういう人たちなんだろうと、なんとなく思っていた。自分は<ふつう>であり、彼女たちは違う世界の人たちだと。しかし彼女ら(今回の3人の母など)の人生には案外<ふつう>の真面目な勤め人が登場している。そしてそういう男たちが問題を起こして妻たちを不幸にしているのだ。特に母2と母3は明らかに家庭内暴力や性的虐待の被害者だった。

彼女らの住む地方の方言では「だいじょうぶ」を「だいじ」と言う。「だいじょうぶか?」は「だいじか?」だ。この言葉が作中で何度も出る。ある人間が「だいじょうぶ」であるということは、自分を「だいじ」にしていることではないか。3人の母親たちは自分をだいじにすることができなかったし、そもそも誰からもだいじにされたことがなかった。

母2(つまり事件の犯人の実母)がしっかり者のやさしい兄や昔の知合いの男などに励まされて立ち直ろうとしていることだけが救いだ。母3(事件の犯人)の場合はまわりの連中が何も助けようとしなかったし、彼女自身も助けを求めるということができなかった。

これを読んでいると、自分が大きな不幸もなくこれまで生きてきたのは、単にラッキーだったからだとわかる。人生はどこでどう転ぶかわからないのだから。それと、(自分が子どもがいないからかもしれないが)たとえ不幸に見舞われても、子どもがいなければ巻き込んでしまうこともなく、自分だけの不幸で済むのだと思った。死んでしまう幼い二人を描いたセクションは、辛くてちゃんと読めなかった。

かなり辛い本なので、気分的にしっかりした状態のときに読むことを勧めたい。

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