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小川洋子『ことり』朝日新聞出版

小鳥と心を通わせる兄と弟。兄は人間の言葉を話すことをやめ、小鳥の言葉しか話さなくなっている。二人は静かに暮らしているが、やがて兄は亡くなり、残った弟は地味な仕事をつづけながら、やはり小鳥を愛して生きていく。片隅で生きる人の生活をつづった静かな小説。

主人公の「小父さん」は図書館の司書につかのま思いを寄せるが、彼女はまもなく結婚してしまう。またボランティアで楽しんでしていた幼稚園の鳥小屋の掃除も、無関係な事件が起きて子どもを守るという理由で拒絶される。そういう寂しい出来事はあるが、それでも最後まで印象的なのは、彼の静かな生活だ。両親が残してくれた持ち家があり、またゲストハウスとして使われている屋敷の管理という、人とあまり関係を持たなくてもすむような定職がある。それで彼自身は質素で規則正しい生活を続けることができている。庭に来る野鳥たちの世話をし、簡単な食事をし、ラジオの音楽を聴き、人間関係に煩わされることはない。たまには旅行に出ようかとも思うが、実際は旅行を計画するだけで満足してしまう。

小説の途中で主人公が偶然出会うことになる、虫を虫箱に入れて声を聴く奇妙な老人や、野鳥であるメジロを飼って鳴き声を競わせる男は、主人公の清らかな生活を際立たせる存在だ。彼らは虫や鳥の美しい鳴き声を偏執的に好むだけで、その姿は主人公とは本質的に違っている。

小野正嗣の解説によればこの人は「マージナルな人」だけれど、愛する小鳥たちがいるので決して深い孤独に陥ることもなくて、考えてみたらなんて贅沢な暮らしだろうとも思える。知らない者が見たら、ひとりで孤独に暮らしていると同情されるのかもしれない。最後の死も「孤独死」と呼ばれるのだろう。しかし、その静かで無理のない生き方はことによったら憧れの生活でもあり得るように思った。ひとりでいるから孤独とは限らない。寂しさはあるとしても、その人の内側は静かに満たされているのかもしれない。

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