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早稲田大学の入学式での柳井様のお話を、就活やその先の将来に繋げられるように

上手く書けないなというときは すっぱりnoteから離れてしまうに限る、ということで少し離れていた。
ちょうど昨日で春休みも終わったし、今日は対面授業だし、今日からまた始めるのがちょうど良いかな、ということで。

本当に毎日投稿を続けていた頃の自分はある意味狂気的だったなぁ、笑。





さて、今日は早稲田大学の入学式について紹介。
株式会社ファーストリテイリングの代表取締役会長兼社長の柳井さんのお話がもう本当に流石の凄さ(語彙力)だったので。

全文はこちらから視聴することができる。

https://www.waseda.jp/top/assets/uploads/2022/04/2204_speech_yanai.pdf

PDFはこちら↑


入学式でこんなに素晴らしいお話が聞けるなんて、東大や早稲田は羨ましいなぁと思ってしまう自分がいる。そういう憧れを抱いた分だけ、私は入学式での誰かのお話を紹介してきた数が多いのではないかな....と思っている。(noteに限らずブログなどで)


就活を終えた1人として、お話の内容が これを読む就活生の誰かに届くと良いなぁと思いながら書く。そして、自分の就活を振り返りながら書く。

上記PDFから引用 柳井正様のお話

私は人が生きていくうえで、 最も大切なことは「使命感を持つ」ことだと思います。 そのためにはまず、「自分は何者なのか」、そのことを深く考えることが必要です。
自分にとって、何が最も大切なことなのか、 絶対に譲ることができないものは何か。 そこを突き詰めて、自らの強みを発見し、生かす。 自分にしかできない、自分の人生を思いっきり生きてほしい。 その明確な意識があるのとないのでは、同じ人生を送っても、
成果は 100 倍、1000 倍、あるいは1万倍も違うのではないかと私は思います。
今日、この記念すべき入学式の日に、お目にかかれた皆さんにお願いです。 自ら高い目標を掲げ、そこに向かって挑戦してください。 失敗は恥ではありません。その経験に学んで、改めて挑戦する。 その繰り返しで、人は初めて成長します。

挑戦を続けてきた方だからこそ言えるお言葉なんだろうな、、、。入学式で ものすごく偉い人に(自分とは別世界を生きているような人に)「失敗は恥ではない」と鼓舞してもらえるということが、幸せなことのように感じる。

すぐに行動できなくても、挑戦というものに対する意識は変わるのではないだろうか。


今日書きたいのはその「挑戦」のお話の部分以上に、太字にした

自分にとって、何が最も大切なことなのか、 絶対に譲ることができないものは何か。 そこを突き詰めて、自らの強みを発見し、生かす。

である。これは就活において絶対に見失ってはいけない部分であり、ミスマッチを防ぐためにも自分と向き合い続けなければならない、ということを自覚させてくれるお話でもある。


自分にとってすごく大切なことと、自分の強みがどう繋がっているのか(=どう発見していけば良いのか)を言葉にするのはすごく難しいことのように感じるという意見も重々理解しているけれどね.....。

難しいことだと私も自覚した上で、自分の芯となる価値観は何なのか、それはどうして生まれたのか、そこから別のどんな考えに派生していったのか、普段どう行動することによりそれを体現しているのか、それが譲れないと強く思える理由や瞬間はいつなのか、、、
考えればキリがないのかもしれないけれど、突き詰めた先に"少しは"ゴールがあるものなのではないかな、と思っている。


確かに自己分析(←そもそもこの言い方が好きではないのだが)はやればやるほど沼にハマってゴールが見えなくなることがある、なのに周りからはやり続けなければならないと言われる、、、だから楽しいものではないのかもしれない。

でも楽しくないと感じてしまった時点で負けな気もしていて、
これができないということはつまり 働く上での自分のキャリアビジョンや将来のありたい姿も想像できない、ということなのではないだろうか。


絶対譲ることができないものを突き詰めていくのは、自分という人間を外から(客観的に)、包み込むように自覚するということだと個人的には捉えていて、これは時には苦しいものである。
自分は思ったよりブレブレなんだと感じたり、自分という形(像)を1つの固定されたものに当てはめられないことで ぐにゃぐにゃの自分に不安を感じたり。急に自分は普通の人とは違って異質なのかと感じたり、人に理解してもらえない部分を露呈させてしまったり、、、。

いろいろあるけれど、なるべく多くの自分を自分で自覚する(言葉の渋滞)ことができなければ、他者から自分がどう見えているのか/どう映っているのかを自覚し そこから自分の強みや弱みを見出していけないのではないだろうか。

自分を客観視する時に限りなく第三者(他者)になりきることができるのか、1人の自分をもう1人の自分が見ているという状態から、
全く自分のことを知らない人間が自分のことを見ているという状態に持っていけるまで 「自分を自覚すること」を突き詰めるというのが、ずっとやっていく必要があることだと思っている。

そしてそこで変わらない自分の考えと 変わっていく自分の考えを両方プラスに捉え、次の自分につなげていくことができるのであれば 5年先、10年先の自分を想像することもできるのではないだろうか。
外から見た自分から 内から見た自分に戻り、自分の想像力を働かせることができるのではないだろうか。

大切な1つの芯に基づいて考え、行動ができた時 そこに少しくらいゴールはあったんだ、と思っても良いのではないだろうか。振り返ってみれば、意外と前に進めていた....ということがあるかもしれない。


柳井さんは"意識があるのとないのでは違ってくる" というニュアンスの話をされている。
ぼーっと考えてみる、言葉にしてみる、振り返ってみる、、くらいでも良いのかもしれない。
そこには確実に「意識」がある。
何かのために自分と向き合うということを したい/しなければならない と考えた自分の「意識(理由)」が確かに存在しているはずである。

何気ない自分の思考の変化を、ワクワクしながら外から望遠鏡で覗いてみる、くらいの気分で良いのかもしれないね。




長くなってしまったが、インターンへ行くので今日は終わり。