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就活に対する「納得感」は どうしたら生まれるのか?

今日も就活について。(そろそろ就活以外のことを書いた方が需要があるような気もするけれど、書きたいことを書くので一旦おいておこう。)


「納得感」という言葉について

「納得感」っていう言葉、良く耳にしません?
納得できる意思決定をする、っていう言い方の方がメジャーという人もいるとは思うけれど。
"自分の行動に対する納得感"というか、自分が満足できるまでやり切ることが重要なのではないかなと思っている。後々後悔しないためにも。

ここで、言葉の意味を改めて調べてみた。

引用元
https://www.highedu.kyoto-u.ac.jp/forum/kanri/forum/pdf/20180322173014.pdf

納得感とは、教員や仲間等の様々な他者とのやり取りの中で、学習の場や自身の状況を適切に意味づけ、納得していく過程を指し、主体的学びの原動力と考えられている。

調べてみてわかったのは(驚いたのは)「納得感」というのは教育に関するワードであること、特に主体的な学びに関するワードである…ということだ。
(主体的・対話的で深い学び・・なんていうふうに文科省からも言われてるもんなぁ。)

主体的な学びの原動力となるものであり、「満足感」とはまた違ったもののようである。捉え方は人によるけれど。



満足感と納得感の違いについて

お世話になったリクルーターさんにメッセージを送ったとき、こんな返信をしてくださった。

(前略)(私の就活について)
100%満足がいかなくても、自分は頑張ったと納得できる結果になっているのではないでしょうか。
(略)
これからも自身の行動の結果に納得できるよう、お互いに力を尽くしていきましょう!

この方のメッセージでも、「納得」と「満足」が違う意味で使われているよね。


現時点での私の考えとしては、
満足したかどうかは「結果」を見て判断するのかな、と思っている。
自分が出した成果に満足したか / 頑張っただけついてきた成果だと思えるか、みたいな部分かもしれないな。



一方で「納得感」というのは 結果だけではなく過程(思考・行動)がどうだったか?についても含み考えた上で(感じられるかどうかが)決まってくるのかなと思っている。

自分のやってきたことに対する納得感は、結果的にそれが良かったかどうかだけでなく「あのとき〇〇していたから、今自分は〇〇できている」の積み重ねで 少しずつ醸成されていっているような気がする。

例えば あの時の面接で〜〜の質問に答えられなかった時、その日中に質問の回答を考えてメモした、だから次の面接以降 答えられる質問が少しずつ増えていった…..みたいなものね。

ある意味自分の考えの変化からそれを行動に繋げられたというか、
論理的に考えて次の行動、行動、行動、、、やがては結果に繋げられた…..と考えられれば
「納得感」は持てるのかもしれない。

後で自分の就活を振り返ったときに、
自分の考えに沿って行動を積み重ねられたこと / 困難を乗り越えるために自分なりの行動をできたこと、
つまり自分なりに頑張ったと言えるくらい一生懸命なれたこと……
が、納得感の土台なのかもしれないな。



私は自分の就活に納得感を持てているのか?

結論、持てているのではないかと思っている。
なぜなら過程に(も)満足しているから。

「これはやった方が良い」という行動が就活には多くある。
例えば自己分析とか、想定質問の回答を考える、とか。
もちろんこれらをやっていればある程度はうまくいく、というパターンがあるのも事実である。

でもそれだけではなく、
それをなぜやるべきなのか?今自分に必要なのはどれなのか?優先順位は?ということまで考えて行動を起こせたことが、自分の就活への納得感につながっている気がする。

前に進み続けるけれど、立ち止まって考える時間を大切にして、ただノウハウを学び王道のルートを辿らなかったからこそ、得られるものもあったのかもしれない。




まだまだ「納得感」について全て語れるほど 自分には"深い考え"がないので、ここら辺にしておく。

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