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一日一食ヴィーガン生活になるまで

今、私は一日一食で限られたものしか食べない生活をしています。

私が食べているもの

  • 甘酒

  • ナッツ

  • ドライフルーツ

  • きなこ

  • コーヒー(カフェインレスが主)

  • 日本茶

  • ハーブティー

他の家族はなんの制限もない食生活をしています。
すると、食を一緒に楽しむという機会はほとんどありません。

その中でどのような夫婦関係で生活しているのかを書いていきます。

以前の生活

以前は、私自身も食べ物について何の制限を持たずに生活していました。

肉、魚、卵、チーズ、乳製品、穀物なども普通に食べていました。

特に卵、チーズは大好きで毎日欠かさず食べていました。

炭水化物も大好きでした。

家での食事

過食嘔吐の生活が20年続いていたので、多いときは3合近くのお米を一度に食べていたこともあります。
パスタも一度に2〜300g食べていました。

その後に大量にパン、お菓子を食べて、いつも満腹にならないと気がすまず、1日中食べ続けていました。

大量に食べることで血糖値を急上昇させ、それがストレス解消と思っていました。

外食

子どもと出かけるときは、許容できる少量のものだけ摂り家に帰るまで我慢していました。

子どもと一緒だと思うようにトイレで吐くことはできなかったので、外では子どもより少ない量で済せていました。
そして、帰って落ち着いてから沢山食べるという生活をしていました。

主人と出かける時は子どものときよりは気が少し緩みますが、基本的には同じ。
気が緩んだ分、自分が許せない量を食べることがあります。
その時は、外で吐くこともありました。

買い物

食べるものがなくなることがないように、いつも買い物に追われていました。
お店に行ってかごに入れた分で足りるだろうか、足りなくなったら嫌だな、といつもそんなことを考えて生活していました。

毎回買ったものはすぐに消費していまいました。
なので、毎日のように買い物に行っていました。

一度に買う量が多いので、知り合いにお店であると気まずい思いをよくしていました。

家族

子どもはまだわかっていないようでした。
上の子が小学校中学年になってもまだこのような状態が続いていましたが、周りを気にしない性格なのでその点救われました。

夫は私の姿を咎めることもなく、逆に心配しているようでしたが、何も言わず見守ってくれていました。

現在

家での食事

冒頭にも書きましたが、食べるのは一日一度のみ。
飲み物に関しては、特に制限なく好きなときに飲んでいます。

外食

私は外で食事をしないので、外食の回数は減りました。

カフェラテ(その時だけ多少の乳製品は摂ります)だけはお店で飲むので、基本的にカフェラテがおいているお店に行きます。

和食屋さんにはほとんどカフェラテはおいていないのでほとんど行くことはなくなりました。

なので外食するときは、子どもがいるのでファミレス、ショッピングモールのフードコートなどとなりました。

今はテイクアウトが充実しているので、家での食事を充実するようにシフトしました。

買い物

以前のように買うことに追われることは減りました。

私があまり食べなくなっても、家族はよく食べます。
なので、ある程度の食料を頻繁に買います。

それでも自分が食べる分が減り、買うことに追われないというのは精神的にも楽になりました。

家族

子どもは「お母さんは食事しないんだよね」というようになりました。
その時は「そう、お母さんは食べないの」と返します。
それ以上の疑問を持つこともなく、この会話は終わります。

子どもには十分食べさせてあげていると思っていますので、私がどういう状態であれ問題はありません。

夫は私が過食嘔吐に苦しんでいる姿をみなくなり、良かったと言っています。
ただ、以前のように一緒のものを食べて楽しむということがほとんどなくなってしまったので、お互い寂しい部分もあります。

とはいえ、今年のお正月は子どもがほとんど食べないおせちを主人用に準備したところ喜んでくれ、普段も特別なものを出すと喜んで食べてくれています。

楽しみ、幸せはいろいろな形があるので、なくなったものの代わりになにか別な楽しみ、幸せを感じることになると思っています。

「常識」などない

今の我が家は、今のかたちでそれぞれが幸せに生活できていると思います。
私の今の状態を実家の母に話すと心配されることもあります。
でも、それはそれぞれの「常識」から発せられること。

「常識」は決して万人にとって共通となりません。

それぞれが愛を持って暮らし、それで幸せであればいいと思います。


「常識」を凌駕してくれた本

今まで唯物主義でずっと暮らしていきました。
目に見えるものが全てであり、「肉体」が私の全てだと思っていました。

しかし、それはとても狭い考えだったということに最近気づき始めました。

全ては繋がっている
全ては一つ

私たちが肉体から離れた後、私たちは一つに戻ります。
今の「意識」は消失しますが、もっと大きな「意識」へと還っていくのです。

人として生まれた短い時間の中で、「私」という意識はどこまで成長できるのか。
そしてそれが一つに戻った時、どういう変化をもたらすのか。

それが今から楽しみになってきました。


今日も全てに感謝します。
ありがとう。

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