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いのちというたからもの

私は、題名は最後に書く派です。小学校の時、作文を書いて、題名が思いつかずに結構悩んだ記憶があります。
何が言いたいかというと、この記事の題名は、記事を書き終えてからつけたものです。

ここは、私が感じたこと、考えたこと、なんかを言葉に表現する場です。
きれいな景色を見たとき。大切な人と時間をともにしたとき。おいしいものを食べたとき。秋の終わりかけにさみしさを感じたとき。愛する人を失ったとき。自分のふがいなさに涙したとき。
これらを経験するのは、感じるのは、”心” ではなく ”命” だと、私は思います。
私に宿っている命は。いや、私そのものが命なのか。とにかく、私たちは、この世に生を受けてから、いろんな経験をして、いろんなことを感じて、成長して、老いて、そして死んでいく。

私は、生まれてから今まで、様々なことに苦しみました。苦しくて、もがいてもがいて、さらにおぼれて、息ができなかった。
そんな時に気付いたのは、人の人生はちっぽけなものだということ。人間なんてちっぽけな存在だということです。
そう。自分がいなくても、世界は何事もなかったように回る。その回ってる世界も、何かのきっかけで簡単に滅ぶ。地球だって寿命を迎えれば死ぬ。

私たちはちっぽけなのに、いっちょ前に喜んだり、泣いたり、悩んだり。
ちっぽけだからこそ?

いや違う。
ちっぽけであり、いっちょ前なのです。

ところで、人生は忙しい。
人間は、せわしなく、くるくるくるくる回りながら、いろんな経験をして、目まぐるしく変わる社会に適応しながら生きている。

私がnoteを作ったのは、自分を失いたくなかったからです。
社会は目まぐるしく動いている。その中に飛び込んでいくことはできない。
私は自分のペースで生きようと思っているけれど、どうしても、少なからず、巻き込まれることは避けられない。

私たちはちっぽけだけれど、私たちは、生きているんです。命なんです。

大学が秋休みなので、今日、一人暮らししている部屋から実家に戻ってきました。
父が迎えに来てくれて、高速で走っているとき、月を見上げながら、月がきれいだなと思いました。心に膜が張っているような妙な不安感をおぼえながら、心地いい眠りにつきました。

私は生きているから、いろんなことを感じようと思います。そして、感じたことを忘れないように、ここに書き留めます。


自分らしく生きよう。
私は私らしく。あなたはあなたらしく。

私は、いろんなことに向き合って、時には逃げて、大切な人と後悔のないようにともに時間を過ごして、

そうすることで見えてきたどんな景色にも向き合える豊かな心を持って生きていきたいです。






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