みん。

2002年生まれ。

みん。

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最近の記事

死んでしまいたい

死んでしまいたい。

    • 私は生きている

      目を瞑ると自分の心臓の音が聞こえる 目を開けると私の瞳には天井が映っている 私の身体はこの広い広い世界に存在している ご飯を食べて 夜になれば眠る 私は生きている その事実を胸に抱いて 朝、ともだちにおはようと言う あの人のことが好きなんだ、なんて話を聞きながら、並んで学校まで歩く 恋人と並んで歩くときに握る手は少し冷たくて 目が合った時、恋人が愛おしそうに私を見ていることに気づいて 唇が触れ合う時に感じる彼のにおいはいつもと同じで 私は彼のもので彼は私のものであ

      • あったかくして寝よう

        こんばんは。 PMS/PMDDから解放されたみん。です。 ここ1週間くらい沈んで泣いていたのがウソのように、元気を取り戻しています。今のところ。 「今のところ」という言葉をよく使う、いや、使わなければならないのは、まあ精神疾患者だけではありませんが、少なくとも精神疾患のある皆様はそうなんじゃないでしょうか。 すくなくとも私は、「今のところ元気」「今のところまだ大丈夫」とよく言います。だってどうせ、また落ちるから。 さて、今日は最近考えたことを書いてみます。 目の前で、

        • 苦しくて幸せな人間

          今日は久しぶりに気分が沈んでいる。 こんなときは、抗不安剤を飲んで寝てしまうか、そうでないにしろあまり活動せずにゆっくりすることが一番だ。 これは半分正解。でもね ...... ゆっくりなんてできないよ。 しんどくて、泣いて泣いて泣いて、苦しさと闘っているんだよ。 今日はバイトで、ちゃんとできたし、自分でも調子が悪いことをあまり自覚せずに動けた。 家に帰って勉強をしようと机に向かって、1時間ほど数学をやって、 気づいたら机に突っ伏して泣いていた。 どうしてか自分にも

        死んでしまいたい

          アイデンティティ

          お久しぶりのnoteですねこんにちは。 今日はアイデンティティについて書きます。 その前にちょっぴり近況報告。 私は双極性障害とASD持ちです。 最近、病状が少しずつ変化してきました。 薬が効き始めたのでしょうか。気分の浮き沈みが少なくなってきました。(相変わらず月経前は落ちますが。。) ASDに関しても、自分との付き合い方がわかってきました。なんとなく。 まあ、春休みだから調子がいい気がするだけなのかもしれないけど。 良くなってきて、嬉しい!よかった!と思うと同時に

          アイデンティティ

          葛藤を塗りつぶす

          久しぶりの浮上です。 最近は、年末年始ゆっくりしたりなどなど。 余裕のある毎日を送っていたのですが、試験レポート課題の現実を突きつけられて萎えているところでございます。 最近はめちゃくちゃ病むこともないし、リストカットもオーバードーズもしばらくしていない。 調子がいい。 なのに、なんか息苦しい。 たぶん、期待してしまっている。 幸せになれるのではないか。みんなみたいに、普通に、安定した仕事について、結婚して幸せな家庭を築いていけるのではないかと。 調子がいいから、ずっと

          葛藤を塗りつぶす

          障害受容、障害理解について考えること

          今日は少し真面目な話。 私は卒業論文で「自閉スペクトラム症を持つ人の障害受容のプロセス」について研究しようと考えています。 こうやってタイトルをつけるとなんかかっこいい感じするけど、それだけじゃ、本質は理解できないのかなと感じています。 「障害受容」と簡単にいうけど、そんな単純なものじゃない。 このテーマについて書く上で、自分なりにいろいろ考えて、先行研究もたくさん読みました。 そのとき率直に思ったのは、障害受容の定義について考えなおしたほうがいいのではないかというこ

          障害受容、障害理解について考えること

          12才の私へ

          12才の私からお手紙が届いたので(地域のイベント)やっと開封しました。 12才の私は、20才の私以外に見られるとは思わなかっただろうけど、ごめん、20歳の私は共有したくなっちゃいました笑 お返事をかいてみましたよ。 20歳の自分へ 私は今、馬に夢中になっています。この前の昼休みに無料の乗馬体験に行って、馬の可愛さを知りました。でも、乗馬クラブに行きたくても遠いし、時間ないし、レッスン料も高いから行かせてもらえませんでした。それで、乗馬クラブに行くことは諦めたけれど、大人にな

          12才の私へ

          他者とともに生きること

          先日あった、ちょっとしたこと。 お世話になっていた人が引越しをするということで、お別れをしました。 どんな関係性だったか、具体的にはあえて言わないけれど 彼女は私のことを本当に気にかけてくれました。 彼女が最初に私に声をかけてくれて それからいろんな話をしました。 彼女の娘さんは精神的につらくうつ状態になることもある、といった話をしてくれました。 「私もそうなんですよ」と言ったら、彼女は「そっか」といって、なんでもないことのように笑いました。 私は彼女の仕事場のお客さん

          他者とともに生きること

          才能

          物事を深く捉えることができること。些細な日常に感動できること。人の心に寄り添い、この世界に想いを馳せることができること。 それは才能である。 でも、その才能は、その持ち主を苦しめる。 繊細なあなたへ。私へ。 ゆっくり、しっかり生きよう。 かたつむりのようにゆっくりペースで。タカのように鋭い眼差しで。 生きづらくて苦しむこともあるけれど、それは才能なのです。 今日もがんばった、その事実を胸に抱いて、あったかくして寝ましょう。 おやすみなさい。

          いのちというたからもの

          私は、題名は最後に書く派です。小学校の時、作文を書いて、題名が思いつかずに結構悩んだ記憶があります。 何が言いたいかというと、この記事の題名は、記事を書き終えてからつけたものです。 ここは、私が感じたこと、考えたこと、なんかを言葉に表現する場です。 きれいな景色を見たとき。大切な人と時間をともにしたとき。おいしいものを食べたとき。秋の終わりかけにさみしさを感じたとき。愛する人を失ったとき。自分のふがいなさに涙したとき。 これらを経験するのは、感じるのは、”心” ではなく ”

          いのちというたからもの