『農業基本法と食料安保の社説』に意を唱える①〜みんなちがってみんないい

今年の通常国会で見直される「食料・農業・農村基本法」についてある新聞に書かれていた。食料が足りなくなるということがないように備える仕組みを作るのが一つの柱になっている。世界情勢が変わった時、お金があるからといっていつも食料が買えるわけではない。

そのために食料をつくる人と農地が必要になる。ここの食料は米のことであるようだ。

社説によれば、「危機を乗り切るには、手放される農地を意欲ある若手や農業法人に集約させることが不可欠だ」。

ホントに?

不可欠って誰が言ってるんだろうか?社説を書いた方?官僚の方?
それしかないの?ほんとに?

「現代農業」にも主張が載っている。
こちらは『小さい罷業、小さい林業が止まらない』。

農地を買ったり借りたりするとき、最低これだけの面積で作らないといけないという法律がなくなり、小さな面積の小さな農業者が増えている。とある。私もほぼ1人で農業しているが、同じような小さな農業者、ラーメン屋さんと農業をしてますといった方、農業所得だけでは生活費できないが、パートナーの収入と合算して暮らしている方、いわゆる半農半Xの方にも出会うことが増えた。自分もそうだが、そういった農業者は大規模化はしたくないし、経済の考え方のみで農業をしていない。

日本の土地の形態を考えると大規模化、生玉をすすめているから、耕作放棄が増えたという面もある。という主張もある。

私の畑の隣に小さな小さな田で機械も入りにくいところがある。持ち主が作らなくなった後、地元の農業法人がつくっていたが、2年でやめて今は耕作放棄地である。離れたところにぽつんとあり、生産量が向上しないケースである。どんな努力をしても、頑張っても、その土地は頑としてそこにある。そんな土地が日本にはたくさんある。

農業は経済だけでは語れない。

現代農業では、農業をやりたいという意欲のある人を、経営の大小とわず、「農業を担うもの」として位置づける動きがあるそうだ。営農の新しい形が1つ紹介されている。

解決する方法は1つじゃない。

私は食料が手に入らなくてもある程度は大丈夫。だって、自分で作れるもん。
食べ物というなくなったら直に生命に関わるものを作れる人が増えるのも食料問題の解決方法の1つじゃない?

ひとつ忘れてはいけないのは、
自然は変化はするけれど、進歩はしない。
効率や成長だけでは語れないのだ。








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