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盛岡のNVC 体験会 2日目

「はじめてのNVC iin 盛岡」

最終回は12名でダイフ。

なんともいえない、東北ならではのハートの温かさを感じて幕を閉じました。

覚書と報告を。

体験会の開催は3回。

毎回、NVC(非暴力コミュニケーション)に触れるのが初めての方が含まれていくことで、

毎回、軸を「4つの要素」に重ねそれを確認するようにプロセスに落とした。

同時にそうではないプロセスにも満たすニーズがあり、機能していることを置くーーー。

NVCの4つの要素に沿ったプロセスが人生を素晴らしくすることにどうやら貢献できそうだという気持ちの裏に働く

今世界で起きている「戦争」「環境問題」には もしかすると貢献できないのではないか、自分が必要とすることは無意味で価値がないかもしれないという「今ないじゃないか!」から出てくる、未来に希望や信頼を持ちたい憧れ。

じゃぁ、NVCが自分の嘆きに対し貢献できるのであればどう変化していくのか、役立つのかを見出したいと声が上がった。

それもそうだよ。

盛岡から見る山々は、どっしりしていて雪が山に纏う何もいわせないほどに美しい…。

これを当たり前のように受け取って生きてきた。「温暖で過ごしやすい」今年は特に気持ちがおちつくはずもない。

あまりにも大きくて圧倒される悲しみと嘆きと怒り。

現実に進んでいる「破壊」「分離」の現実をあたかもないかのように暮らす自分、会話にも上がらない暮らしをしている周りに怒りがあること。

衝撃的な事実が置かれ、開かれていった場所になった。

集うメンバーが変われば、場が変化する。

集う一人一人が創る場。

どうやって私たちで器を作り 共に感じ、

共にあることで支えを作ろうかと場が開いていった。

スローダウンし、消化の時間をとる。

私の経験から提案したことは、人生初めてのNVCの対面WSで経験したことをすることだった。

シンプルさに深さがあることに信頼があった。

思い返しただけでも 胸が熱くなる。

この土地に生まれ、この土地に住む人同士で それを感じ支えることに意味がある。

そして、次世代へ何を贈りたいのか言葉にならずに涙が流れる。

自分の経験や体験の悲しみの深さと共に入ることを可能にする仲間を感じる。

この会は完全ではなかった。

完全になるはずもない。

1人の声を聞くことがどれほどのエネルギーがいるのかということ。

そして、そこに時間やエネルギーを使うということは「やればいい」「形通りに行う」だけではないということと、

完全ではないことだからやる価値があるのかもしれないと噛みしめた。

私の交通費や活動にと想像以上の寄付をいただきました。

その寄付があることで、台湾で行われるNVCの国際集中トレーニングに参加し、過ごす金額が満たされることになります。

それ以上に、差し出された多くのものを私はこれからどのように自分の中で消化し、またこの盛岡に還元していけるかを考え初めています。

そこに住む人たちがやることに価値があるものだなと。

あー、私も自分が生まれた土地で 一緒に過ごした人と4月 この時間を過ごします。

どんなことが起きても大丈夫。

NVCを信頼して…。

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