病院は行かないの?


こんばんは。
今日もゆきが書いてます。長くなりそうなので、少しずつ綴ります。
今回は病院、主に精神科や心療内科といわれるメンタルクリニックのお話。

※今回はPTSDという言葉がよく出て来ます。知らない方はぜひ調べてみて下さい。

僕らは解離性同一性障害(DID)を患っているというか、発症?していると自覚してからメンタルクリニックといわれる病院には行っていません。

なので、

明確な診断書もないし、医師から解離性同一性障害(DID)ですと告げられてもいません。

僕らが病院に行かないのには理由があります。

今から7年ほど前のことです。
(解離性同一性障害を発症する前なので、僕らの主人格(みい)を客観的に観ていた僕の話です。)

当時は大学を卒業後、就職に困っていたみいは母親の勧めで美容専門学校へ通っていました。

ですが、卒業間近になり、人間関係や日常生活で繰り返すPTSDのフラッシュバックにとうとう耐え切れなくなり、最終的にはその専門学校も通うのに必要だった公共交通機関にさえ近付けなくなってしまいました。(今でも公共交通機関は苦手です)家を出ることがとても恐ろしかったのです。

両親はみいを心配し、家から通えそうな近場のメンタルクリニック(精神科、心療内科)に一緒に行くことになりました。

初診ではネットでよく見かけるストレス診断のようなものを書いた後、先生の聴き取りがありました。

その診察する状況が既にPTSDをフラッシュバックさせるトリガーの寄せ集めだった為(当時はこのことに気付いていない)、みいは言葉を発する事もままならず、泣くばかりでした。母親が付き添いで来てくれて、先生と母親が話していました。

先生からは「適応障害でしょう。若い方なら、誰でもなりますよ。」

とのことでした。

泣き出すみいを横に先生と母親は「そうですよね〜、私もそういう時期がありました。」と二人で話を進めていました。

向精神薬と睡眠薬、ほか2種類ほど薬を出され帰宅。

その後は週一でクリニックに通い、先生の聴き取りがありました。その度にPTSDのフラッシュバックがあり泣いてばかりできちんと話をした記憶は少ないです。(今思えば、よく通えたな…と感心します🥲)

そして、生真面目な性格の僕らの主人格は一生懸命に「適応障害」を克服して、両親を安心させてあげようと熱心に出された薬を飲みました。

1、2年ほど経った頃。
みいの身体は薬を飲むことですっかり様変わりしました。52kgだった体重はみるみる増え74kgに。顔はぱんぱんに浮腫んでました。体重が増えたことで外出や運動を辛く感じました。

僕らの主人格は女性なので、とてもショックだったと思います。薬のせいとはいえ、当時は遠距離で付き合っている男性もいたので余計に。

嫌だけど、薬を飲んでしっかり治さなくてはならないと思っていたようです。

目が覚めたら、起き。
何か食べ物を食べ(薬を飲むため。味はほぼしません)、薬を飲み、身体が辛くなると寝て、夕方になると泣き(PTSDのフラッシュバック)、夜はベッドの上で涙が枯れるまで泣き、泣き疲れて眠る。という1日の繰り返しでした。当時は(PTSDの影響により)TVの大きい音や食器洗いの音、明るい照明を怖がっていました。

今思い返せば、薬の効果はあまり感じられなかったように思います。

でも、自分が「適応障害」だと思い込んでいたみいは何も疑いもせずに毎日をただ、自分を治す日々にあてていました。

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