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誰もまだ呼んだことのない名前をあげる

【早く着いたので駅前のスタバにいます】
待ち合わせしてる仲間の1人からグループLINEにメッセージが入った。
俺も合流するねとは送らずに、直接、店に向かった。よし。今日こそ聞く。

窓際の席に彼女はいた。
目の前に立って、ガラスをノックすること、2回。飲み物に向かっていた視線が動き、目が合う。向こうはちょっと驚いた後で、笑った。俺は空いてる隣の席を指差す。彼女が2回うなづく。
店に入っていつものお気に入りを買い、座った。
「早いね」
ここにいるってLINEあったからさ。
「新作、飲んでみたくって」
ポスターにでかでかと載ってるのと同じものが目の前にあった。
美味しい?
「思ったより甘い」
言いながら、またストローをくわえてる。

わざと早く来たんだ。聞きたいことあって。
「私に?」
うん。
「何?」
なんで俺のこと、名前で読んでくれないの?
「今、それ?」
うん。
「別に一ツ屋くんだけ名前で呼ばないわけじゃないじゃん」
そうだけど。何度言ってもそうやって名字に【くん】付けじゃん、ひとつやくん、って。
「なんでそこにこだわるわけ?」
んー…親近感?
「は?」
遠く感じるんだよ、距離が。仲良くない感じがすんの。
「へんなの」
【優】って、呼んでよ。呼んでみて。
「…できないの」
なんで。
「なんでも」
なんでもじゃわかんない。ちゃんと理由言って。俺のこと、納得させて。

彼女は新作フラペチーノを飲みながら、窓の向こうに目をやった。
交差点、変わる信号、動き出す人混み。少しすると信号は点滅し始め、人々は急ぎ足になる。赤くなると、今度は車が走り出す。そのあたりで、彼女の視線は空を向いた。

「私の中の【優】はね、空に還っちゃったの。正確に言えば優二くんなんだけど、私は【優ちゃん】って呼んでた。一生、ついていくんだと思ってた。今でも、私の大事な人。それは揺るがない」
そこまで一気に話して、彼女はゆっくりと俺を見た。
「だから、一ツ屋くんのこと、名前では呼べないの。【優】は、私の中では【優ちゃん】だけなの」
そして、少し淋しそうな笑顔で、ごめんねって言った。初めて見る表情だった。

恋人だったのか友達だったのか、それ以外の親しい人なのか。そうじゃなくて、好きなアイドルとか俳優とかミュージシャンとか。聞こうと思えば聞けたんだろう。でも、彼女の顔に書いてあった。これ以上は踏み込まないで、って。別に困らせたいわけじゃないから、言葉を飲み込んだ。

信号待ちの人混みの中に、知っている姿を見つけた。
「先輩、今日もスタイルいいなぁ…かっこいい…」
まだ待ち合わせの時間には30分近くあるのに。早いな。
彼女が先輩に憧れてるのは、前から気づいてた。ほら、ちょっとそわそわしだした。
そろそろこの話もおしまいにしなきゃ。

じゃあ、特別。一ツ家の【ひ】を取って、【ひーくん】でいいよ。
「はい?」
誰もまだ呼んだことのない名前をあげるよ。親近感、出まくりでしょ?
「何ひとりで勝手に決めてんの?」
あ、先輩、こっち見てるよ、気づいたんじゃない? ほら、手、振ってる。
横断歩道を渡りきり、窓越しに俺たち2人の前に立って、彼女の反対側の隣を指差した。俺はその合図に2回うなづきを返した。店の入口の方へ体を向ける先輩。
「ちょ、ちょっとなんで勝手に!」
その焦った顔を見ながら、俺は自分の手にしている飲み物に口をつけた。
彼女は、先輩のことは名字に【さん】づけで呼ぶ。年上だし、名前で呼ぶなんて恥ずかしくて想像もつかないんだって、前に言ってた。

真っ青な空。いい天気。【優ちゃん】さんってどんな人だったんだろうな。でもきっと、懸命に生きてる彼女を見守ってくれてるんじゃないかって気がする。

よーし。絶対、近いうちに【ひーくん】って呼ばせてみせるからね!

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