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痛みなくして得るものなし ─ 積極的分離理論(2)

↓前半(1)では、『痛みなくして得るものなし』理論の概要を説明をしました。後半では、この高い人格形成を可能にする「内的資質」について語ります。

刺激増幅受容性(OE)とは?

多くの人が第1統合段階である「痛みのない精神状態」におり、たとえ痛みが発生しても元へ戻る場合があることを記事(1)の最後に書きました。ここであえて、この『前のレベルの崩壊』と『次の段階での再統合』を進んで選びとる人がいます。幸福へ舞い戻る道ではなく、痛みを伴いながらもあえて上の道へと進む勇気を持つ人です。
……『春にして君を離れ』でいうところのレスリー・シャーストンのような人です(以前の記事「春にして〜」参照)。彼女は安定した生活を利己心により破壊させた夫に対し、拒否したり罵ったり逃亡したり見捨てたりすることで自らの幸福を守り通す道も選択肢としてありました。世間からみればそうするのが普通、当然といえましたし、新たな人生を歩む道は彼女の当然の権利でもありました。しかし彼女はあえて夫を支え不名誉と共に生きる道を選びました。しかも子供にも父の不名誉の事実を隠さず、彼らが自らの人生を律する権利を奪いませんでした。世間がどんなふうに評価しようとそれが彼女にとっての『上の道』だったからです。一般的な社会的評価を彼女は重視せず、ただ自らの意志により善きと信じる道を選択しました。それが誰からも理解してもらえない道だと知りながら。彼女にはコペルニクスという「痛みと向き合う勇気」の役割モデルがいました。逆を言えば歴史上の偉人しかモデルがいない、それは本当に孤独な道でした。

このように積極的分離を果たす人、果たし得ない人、その違いはいったいどこにあるのでしょう? この強い精神の輝きを放つためには当然それなりの「燃料」が必要です。それは内面に存在している燃料です。この燃料があるかないか、またどれだけあるか、により積極的な分離の可否が決まります。

この燃料が「刺激増幅受容性(OE=Over Excitabilities)」です。過去の記事では「過度激動」「過興奮性」とも呼びました。これが、発達に不可欠な燃料となる資質だと言えます。この内的な5つの興奮性は遺伝的に備わっているものであるとドンブロフスキは考えました。

  • 想像性OE:発明、創造、想像の内的衝動 

  • 知性OE:内省、好奇心、探求の知的衝動 

  • 情動性OE:感情的経験を通して他者と結びつく深い共感的衝動 

  • 感覚性OE:感覚を通して得られる強烈な刺激体験 

  • 精神運動性OE:身体的運動を通して激しいエネルギーを表現すること

平均値よりも高い値を示した場合、その刺激増幅領域を有していることになります。そのため、異なる形態の刺激増幅受容性を複数有する者は、多くの事柄に対して驚き、困惑します。人や物や出来事に出くわしては、衝撃と動揺に見舞われます。刺激増幅受容性を示す者、特に複数の領域のOEを明示する者は、現実を異なる角度から多面的かつ鮮烈に捉えるでしょう。彼らにとって現実は単なる現実ではなく、彼らに多大な影響を及ぼして長く印象に残るものなのです。このように、増幅された刺激受容性によって、人は頻繁に相互作用を受け、幅広い経験をすることになります。

カジミェシュ・ドンブロフスキ(1972年)

特にこの中で情動性OE、知性OE、想像性OE、を多く有する人たちは高い発達可能性があるのです。これがある人は、自分の人生の価値を考えず、自分が何者なのか、自分はどうなりたいのか、の疑問を持たないまま日々をやり過ごすことができません。人生の中で度々、葛藤、緊張、フラストレーションを経験することになり、こういった深い経験が度重なることでおのずと感情的混乱、精神の混沌、不安とうつ状態を経験してしまいます。この状態は、世間一般的には「望ましくない」と言われますが、ドンブロフスキはこれらは高度な人格発達に不可欠なものだ、と考えたのですね。……なぜHSS型HSPにとってドンブロフスキの理論がこれほど重要なのか、もうおわかりでしょう。


このOEの自己診断テスト(OEQ−Ⅱ)というものがあるのですが、2014年にHSPのみを対象に実施されたこの診断テストでHSPは、知性OE、想像性OE、感覚性OEのスコアがやや高くなり、情動性OEの項目では非常に高くなったようです。一方で、精神運動性OEの項目ではスコアが低くなるという結果が出ています。
この結果から、ドンブロフスキが高度な人格発達と創造性の大きな「可能性」をもたらす三つのOE(知性、創造性、情動性)がHSPに、とりわけHSS型HSPに多く備わっていることがわかりますよね。HSPの提唱者エレイン・アーロン博士もこのOEとHSPとの関連性を認めているようです。しかし、これを持つことはあくまで高い人格へ往ける「可能性」に過ぎません。持っているからといって高いレベルへ到達することが保証されているわけではないのです。
……ちなみに私自身このOEQ-Ⅱをしてみたら、知性、想像性、情動性のどれもが高く、感覚はやや高く、精神運動性はスコアが低くなりました。……自己判断なので参考までに。


さらなる二つの燃料

また、さらにこのOEに加えて高度な発達に関与する重要な要素が二つあります。それは一つに「特殊能力と才能」、もう一つは『第三の要素』とドンブロフスキが呼んだ「意識的選択」(自律的発達へ向かう欲動)です。才能には各自発達段階があるのでどれほど現れているかはそれぞれでしょうが、それでもこの二つも、HSS型HSPにとっては馴染みがあるものではないでしょうか。先に述べた「創造的本能」を思い出してください。
私は個人的に、下の言葉に首がもげるほど首肯しました(笑) あなたはどうですか?

創造的本能とは、簡潔にまとめるならば、個人の内部に生まれたあまりあるエネルギーであり、その者の生活の必要性をはるかに超える、単独ではとても消費できないような、大いなる生命力である。このエネルギーは、音楽や絵画、執筆など何であれ、その人にとって最も自然な手段によって、人生の創造のために費やされる。人はそのプロセスを避けることはできない。なぜなら、そのエネルギーが完全に機能してはじめて、その者はあまりある特異なエネルギー(身体的でもあり精神的でもあるエネルギー)の重荷から解放されるのだ。そして、その人の感覚は、他の人よりも物事を深く敏感に感じとり、それは脳内ですばやく処理され、現実が創造の領域へと溢れ出す。それは内面から発露するプロセスであり、その人のすべての細胞による高次元の活動である。自分自身だけでなく人生のすべて、あるいはその人の内面や夢が、創造的活動の輪の中へ流し込まれるのだ。

パール・S・バック(アメリカの小説家)

ここの『生活の必要性をはるかに超える、単独ではとても消費できないような、大いなる生命力』のところで、「単独で消費できない」は、普段個人的によく言ってしまう「一生かかっても消費できない」のことだ、と感じました。創作活動や創造したい表現の多さを思うたび人生の時間の短さに嘆息が漏れます。
また、この「創造性」について。これは高次元の複雑性、道徳性、自律性、において自己を再発見(自己変革)し、自己の内面に目を向ける高次欲動と考えることができるのです。これこそまた、日頃しっかり内省を深めているHSS型HSPにとっては馴染み深いのではないでしょうか。なぜならHSS型HSPには、HSPが持つSPS因子(感覚処理感受性)に加えて、HSS因子(刺激追求性)があり、この刺激追求性は以下の4つの独特な性質を包含しているからです。

  1. スリルや冒険の追求 (ドキドキする体験を求めてしまう)

  2. 経験または新奇性の追求 (ありきたりを嫌う、常に新鮮さ、斬新さを欲する)

  3. 脱抑制 (社会規範に収まるだけの行動から飛び出したい欲求、ルールに縛られない考え方)

  4. 退屈しやすさ・飽きっぽさ (一瞬の退屈も許せないほどの焦燥感、常に好奇心を満たし何かに集中していたいという欲求)

この中で、日本人の場合特に1は子供の頃にいくらか現れてその後徐々に薄れていきますが、3、4は歳を重ねても一向に衰えないという特徴があるのです。そして、この2と3と4、これらは私たちHSS型HSPの中に往々にして強い創造性と自律性を生み出すのを、これを読んでいるあなたが本当のHSS型HSPなら激しく同意されることと思います。
HSS型HSPの脳(思考)はとにかく独創性に傾きがちです。好奇心が強く、常に何かを探求して集中するため、度々「フロー」に入ってしまうという特徴もあります。個人的に言わせてもらえば、私は専門書を読み込む前から度々身近な人に、「私はよくフローに入ってしまうからすぐに専門知識を習得してしまい、次々に新たなことをしてしまう」と、この言葉を用いて語っていました。だからこの「フローが起きやすい」というHSS型HSPの特徴にも激しく首肯した次第です。一方で私は人から「飽き性」と言われ続け、色々できるけど結局何者にもなれない器用貧乏を絵に書いたような人間だとも思ってきました(笑)

HSS型HSPとギフテッドとの関係

以前から「HSS型HSPとギフテッドの関係についてわかったことをまとめたい」と書いてきました。専門書を読んでわかったのは、HSS型HSPにはいわゆる過度激動(過興奮性、感覚興奮受容性)を持つ者が多くおり、それゆえに「積極的分離理論」でいうところの高次な人格へと発達し得る人がいるということです。……関係も何も、人生に深い意味を持たせる上で考慮すべきところ、方向性がまったく同じだったのですね! 実際可能性の高さで言えばギフテッドは桁違いなのだと思いますが、とことん探求すればするほど、このドンブロフスキが構築した人格形成の段階的構造である「積極的分離理論(OPD)」と、その必要燃料である「感覚興奮受容性(OE)」という同じ場所へ行き着いてしまうわけなのです。

私が前の記事で書いた六つの力があります。俯瞰力、想像力、善を思う心、美への感受性、知的好奇心、創造力、……あれを私は、繊細で敏感な人間が社会をサバイブしていくための「内的資源」「生存適応能力」である、と考えているのですが、この内的資源や生存適応の力を、HSS型HSPは世間の大多数の人間より多く有している──と、この仮説が成り立ちます。

今回の記事に書いたとおり、OPDを体現する燃料であるOEを持つ者がHSS型HSPには確かに存在し、SPS因子とHSS因子を併せ持つことで精神に複雑性が生まれ、それは精神世界をより一層広げる効果を持っているのです。高い感受性と強い共感力はもちろんそこには想像力、自律性、何より創造性(創造的本能)が関与しているからなのですね。

……このように、西欧のHSS型HSP研究では当然のように知られている事柄が、日本ではまだ広く認識されていないように思えます。自認するほとんどの方がネット上の曖昧な情報だけで満足しているせいでしょうか? しかしHSS型HSP研究者の権威が書いた専門書を読み込むほどに、自己分析や自己理解を進めれば進めるほどに、この特質を埋もれさせたくないとの自覚がHSS型HSPの中に強まるのではないでしょうか? ……ところで、最後にこの「痛みなくして得るものなし」理論についてもう一つ個人的に思うことを書き加えたく思います。

アガペーこそが鍵ではないか

この「積極的分離理論」ですが、「3↑」より先にどんどん高めていく人がいるはずです。そこで個人的な意見を言わせていただくと、そこには「アガペー」が深く関わるのではないかな、と思うのです。これは直感的なものなので上手く言えないのですが。
ご存知、ギリシャ式にいう4つの愛の「自己犠牲的な愛」のアガペーです。他の3つの愛とこの愛には大きな隔たりがありますよね。フィリアにもストルゲーにもエロスにも愛を発する「理由」があり「必然性」があります。また、自己の心に在る時点でそれは「愛」であるとも言えます。例えば『私はあなたにフィリアを感じています』と言えばそのものを意味します。
しかしこのアガペーだけは違います。「理由」も「必然性」も必要なく『私にはアガペーがあります』と主張したところでなんら意味を持ちません。行動によってのみそれは「在る」ことになるからです。また、相手によってその愛が変化することもなく内面に確固として別け隔てのない感情が存在しているのです。博愛と呼ばれる所以ですね。そこが他の愛と大きく違っていると常々頭の中で分析して納得したりしています。

先に私が書いた「こういう人がギフテッド」とした中に「博愛精神」があるとおり、彼らはより積極的にこの自己犠牲的愛=アガペーを行動で示す人たちなのではないでしょうか。それは何も(命を投げ打つなどの)悲痛な経験に限るわけではないでしょう。誰かのために、主に弱者や不遇な人々のために自分の時間や労力を進んで捧げようとする、その精神に満ちているのではないか、と考えています。そしてこれによりより高い人格形成が可能になっていくのではないでしょうか。あるいは高い人格形成から退行しないための抑止力となり、いっそう高みへ昇ることを可能にしていくのではないでしょうか。

つまりこのOPDにおいて最も高みに行く人の鍵となる、根底にある性質がこの「アガペー」と言えるのでは? これがHSS型HSPの特徴として特別に挙げられることはありません(ただ、彼らも非常に共感力が高いため自己犠牲的です)。またこれは私がたまたま十代〜三十代の長い月日特別深く熟考してきた言葉であったため書き加えてしまいましたが、今の段階では個人的な推論に過ぎません。この積極的分離理論に関しては、まだ充分に調べたとは言えないので、これも含めて今後改めてじっくり研究していきたいと思っています。

「創造的本能」には長い時間が必要

そして、人格を発達させていくことには本来長い長い時間がかかるものです。当然一朝一夕で成せるものではなく、自己理解を深めつつ、退行を防ぎつつ、確実に進まねばなりません。……さらにここで過酷な現実をいえば、知的好奇心ゆえに哲学的思考を深めれば深める人ほど「この世の全てには意味がない」に行き当たってしまうと思います。内的資源を多く持つ人ほどこれによる非常な「痛み」に高確率で遭遇することでしょう。だからこそ、自己を奮い立たせる本物の勇気が歳を重ねるほどに必要になってくるはずなのです。

『痛みなくして得るものなし』──これは私が強く同意するこの理論の本質です。痛みを受容する勇気を獲得するには、「この世の全てには意味がない」ことを知りながらも、多くのことを学び、経験し、熟考し、精神の不安定さにも負けずに独自の力で「生きる意味」「生きる喜び」を創り上げていく力が必要です。それが〝不屈の自分軸〟を創ってくれる「創造性」「自律性」であり、これらを確実に発揮する機会がたくさん必要になってくるのです。内在するこれらの力を、勇気ある行動をひとつひとつ積み重ねていくことで伸ばしていくことが肝心なのです。つまり高次の人格形成には、本当に長い長い時間が要るのですね。ドンブロフスキが述べているとおり、「創造的本能」自体がまさに「発達のための力」そのものなのです。

発達可能性が高い人々は、深く創造的な発達に長い時間をかけなければならない。なぜなら長い間成長し続けるから。これは創造的な者にとっては一般的な事象である。単に、彼らには大きな発達の潜在的可能性があるということで、すなわち『創造的な人たちは発達するための人たちである』ためだが、これこそが彼らが十分に時間を必要とする理由だ。

カジミシェ・ドンブロフスキ

前編(1)と後編(2)にお付き合いいただいた方、ありがとうございました。この記事が、人生に深い意味を見出そうと日々模索する内面性豊かな誰かの(とりわけHSS型HSPの)お役に立てれば幸いです。



追記:熱を込めすぎて出典の記載という肝心なことを失念していました。この記事内の文章は、下記の本の解説や表現を基とし、私の解釈や体験や主観を織り交ぜながら書いています。この記事は、書籍への感想や書評ではなく、この本による『積極的分離理論』の解釈をできるだけ速く多くHSS型HSPに届けたいという願いに駆られ書いたものです。一人でも多くのHSS型HSPに届くことを願って……。

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