見出し画像

子供がほしい気持ちを話すなら

正直に言うのなら、私は子供がほしかった。子供がいれば、それで全てが解決するように思っていたからだ。ひとりでも、ふたりでも、もしも子供がいるならば、人生における時間というものを子育てというものに充て、夫婦の会話というものを子育てという会話に変え、友人付き合いというものを、子育ていうものから得ることができる。

言うなれば、30代の始めの頃までは、そのように考えていたのだ。夫の仕事が忙しかったこともあるだろう。周囲に、子育て中の友人が多かった、それも影響していただろう。子育てをしている側からすれば、なんて甘っとろい思われるとしても、たとえば、日本の人口のために子供を産もうということがきっかけになるかといえば、母になりたいという気持ちが先というのが本音だった。

個人的な、そのような気持ちから、子供ができないという焦りから、夫に子供を抱かせたい、そして両親に子供を見せたいという言い訳ともとれるよう気持ちから、不妊治療を始め、自分で設けた治療休憩時間をも含めて、30代半ばから40代に入るまで続けることとなった。

自然妊娠を目指すところから、人工受精、高度不妊治療まで毎月の一喜一憂を体験しながら続けた。ひとりでも、ふたりでも、の気持ちが、ひとりでもいいからお願い、に変わり、なぜできないのだろうという気持ちをどこか抑えながら、何年も「不妊治療をしている」という生活を送ることとなった。そして、もう良いだろうという気持ちになるまで、納得するまで続けたのだ。

なぜ、妊娠できなかったのかということは、原因不明というところにあった。その間、さまざまな不妊治療経験者、当時からWeb上にあった経験者の方々のの体験記を読み、僅かながら交流もしてきた。

前回書いたように、治療を続けながら、自分にとって両立できる仕事もしていたから、治療費がかかろうと自分の楽しみや友人との交流時間や、夫との旅行時間をもつことに罪悪感をもつことはなかった。

それでも、通院と毎月の陽性を待っては、がっかりすることの続くうちに疲弊していたのか、「これでもうやめよう」と思った頃に、どっと心身に現れたのだ。何よりも思うことは、高度不妊治療費の保険適用とともに、不妊治療を受けている方々へのメンタルケアをも要するということだ。私は幾つかの病院にて、不妊治療、相談をして、どの病院にも相談できる体制はあったと記憶している。医師や家族に話すことで十分と感じていたため、それらを利用したことはなかったが、相談は保険適用だったのだろうか。高度不妊治療を受けた経験は、私に新たなる強さをもたらした。ただ、後々になって心身に現れた影響を考えると、高度不妊治療の保険適用とともに、積極的に相談を受けられる体制をも保険適用になることを願っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?