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セキュアベース〝いのちの陽だまり〟への想い

保育から介護を繋ぐ、お母さん看護師 長崎幹奈子です。訪れて頂き、感謝です!

この記事では、セキュアベース〝いのちの陽だまり〟への想いをお話したいと思います。

お時間がありましたら、読んで頂けますと嬉しいです。

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私は、3人の子ども達の母で、夫の両親と敷地内同居をしています。私にとって、恩人でもある義理の父と母を、とても大切に想っています。ママりん、パパりん、と呼ばせてもらっています(この経緯もいずれ)

看護師として、認知症の高齢者に関わる中で。母として、子ども達の特性や育ちに関わる中で。縁のあったNPOにて、発達障害の方に関わる中で。

感じた想いは、『自分が自分で在れる場所』があったらな、ということでした。逆に言うと、自分で在れない人たちを目の当たりにしてきた、とも。

セキュアベース「いのちの陽だまり」は…

自然や生き物も共に暮らせる、
安全基地のようなイメージです。

小さな赤ちゃんから、お年寄りまでが共に暮らし、
お互いを労り癒す、愛が循環するような場。

日本の古来からの知恵を大切にする一方で、
ICT技術も、積極的に活用します。

お互いの弱さを「お互い様」と補い合えること。
家族の多様性をあらわし、
血の繋がりだけでない、大きな家族のかたちを創っていきます。


様々な理由が重なって、浮き出てきたのが〝いのちの陽だまり〟だったのですが、その、はじめのきっかけとなった出来事を、お話させてくださいね。


大学生だったころ、100円均一のお店の中で、ある年配の女性に出会いました。その方は、「ここは何町ですか?」と私に聞いてこられ、帰り道が分からなくなった、と。

よく転倒しておられるのかな、と感じる、あちこちにあるアザ。少しチグハグになってしまう会話。

〝もしかして…〟の想いは、その方にお借りした診察券から電話をかけた、かかりつけの病院の方の言葉で明確となったのでした。

「こちらの〇〇さんですが、認知症があられますか?」

私の問いへの答えは「はい」

そこで、なぜ私はそうしよう、と思ったのか分からないのですが…病院の方に住所を伺い、一緒にタクシーに乗り、女性の家へと向かいました。

タクシーに待っていてもらい、家の中まで送り届けたのですが

帰ろうとした私を、女性は強く引き止めました。

「帰らんでくれんね。誰もおらんとよ。仕事で帰ってこんと。おってくれんね…」

家の大きさや、きれいに片付いていること、家族がおられるのだなと安心はしました。そのまま私がここにいても、びっくりされるだろうし、不法侵入!と言われれば、弁解のすべもありません。

心苦しくはありましたが、女性の引き止めには応じず、その家を後にしました。

帰りのタクシーの中で、ぽつん・ぽつんと想いが湧き出ました。

(淋しそうだったなぁ・・・)

(あのまま一緒にいたら良かったのかな)

(ご家族は、日中ずっとおられないのかな・・)

自分は偽善者だなぁとも思いましたし、何もできない自分にがっかりもしました。

そしてもう一つ湧き出た想いは、認知症があっても、安心して暮らせるまちだったらな、ということ。

「帰り道が分からんくなったと?」「あぁ、○○さんとこの、おばあちゃんやね」「一緒にかえろ」「ここでご家族を待っとこ」

お互い様。という関係を、作れたらな、と思うのです。

そして、その関係は高齢者や大人だけで作るのではなくて、赤ちゃんからまるーっと円のようなものがいいなって。自分ではないものに強制される場でなくって、自分で在ることをお互い大事に出来たらいいな。

〝いのちの陽だまり〟での、私の役割はマスコット!


赤ちゃんを抱っこして、子ども達と一緒に遊び
パニックになった子を見守り
認知症のお年寄りに寄り添い
存在で人を癒す、マスコット♡

1人の力では、セキュアベースは創れなくて。想いを重ねて下さる方々の力があって、初めて成り立っています。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。



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