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歩いて国境を越える

始発の列車に乗り込み、数日間滞在したバンコクをあとにした。
空がだんだんと明るくなり、ボックス席の隣と向かいでは、サリーをまとったご婦人グループがおしゃべりに花を咲かせ、車内販売のサンドイッチをつまんでいる。
窓から吹き込むのは、初夏の風だ。

旅は、移動の記憶だ。
遺跡が大好きだけれど、帰国してから日常のあらゆる瞬間に思い出すのは、移動の途中で出会った人ばかり。見かけただけの人を鮮明に憶えていたりもする。
たとえば東京のスーパーで日用品売り場を通り過ぎたとき。ただ、ブルーの洗濯洗剤ボトルを見た瞬間に。何の脈絡もなく、そのシーンが呼び起こされる。

旅は非日常、ではなかった。驚くほど日常そのものである。
国境を歩いて越えたとき、何も起こらなかった。
すべては陸続き、ただそれだけのことだった。

この日も、タイの首都を走り抜ける車窓から、線路脇に連なる家々の、大小さまざま、色とりどりの洗濯物を眺めていた。
洗濯ロープの先では、子どもが、通り過ぎる列車へ目を向けては、お兄ちゃんとはしゃぎながら笑っている。大音量で音楽がかかっている。

私が、空港で受信した帰国後の仕事のことを考えていたからか、先週末日本で公開した映画を観たい、そういえばあのライブに行きたいと思っていたからか、それとも親しい人と喧嘩をしていたからか。数秒間、通り過ぎた、その兄弟、友人同士か、彼らの日常には、私が大切にしているそれらは全く関係ないのだ、と突然、強烈に思った。当たり前のことだけれど、この、心からの笑顔で笑っている彼らには、私の計り知れない別の大切なものがある。そして私は、いま目の前に通り過ぎていく、大きさの違う、色鮮やかなTシャツの持ち主である彼らの家族がいるこの街を、ただ通り過ぎようとしている。誰かにとって、世界中のどの街よりも、とてつもなく大切な時間がある場所を、ただ、途中下車もせずに。

列車は数秒であっという間に走り去った。

やがて窓の外は一面、グリーンの田んぼが広がり、ずっと続いていった。

これから終点のアランヤプラテート駅まで6時間。正午には到着する。
陸路からカンボジアへ入り、アンコールワットを訪れ、その日のうちに帰国する予定だ。
滞在時間より、移動時間のほうが圧倒的に長い。
あえて、そうした。ただ“移動”そのものを熱望していた。

太陽が真上から照りつけている。6時間ぶりに外の空気を吸う。
終点に着くも、ここはまだタイ。ここからの所要時間は目分量。さらに、最寄り駅のない国境付近の街まで行かなければならない。

混雑を避けてゆっくり出てきた私がぐるりと見回すと、同乗していた観光客たちは、さっさとタクシーやバイクを拾って、駅を去っていくところだった。
そこへ、すかさずバイクタクシーが猛スピードで横付けし、「乗れ!」と言う。
「後ろ乗るの怖いの!」と言って歩き出し、「どこへ行くんだー?ずいぶんと距離があるぞ」という声を背中で聞きながら、「ホント、どうするんだろ?」と朦朧とした頭で考える。
沸々と「どうするんだろ?」という不安が、冒険心を掻き立て、待ってました、とばかりに堪能していると、意識が遠のいていくよう。それが心地いい・・・・・・けれど、今日は時間との闘いなのだ。

ようやく通りがかったトゥクトゥクをつかまえる。運賃交渉するもちょっと高いけど良しとし、乗り込んだ。ほっとした。
この三輪タクシーをバンコクからとても気に入っていた。全身で風を感じられるし、ドライバーのお兄さま方の運転さばきのクオリティの高さには、揃いも揃って目をみはるものがある。自動車と自動車の間をスイスイ進んでいくと思えば、えっ、そこで?!という狭いスペースで颯爽とUターンし、方向転換もお手のもの。
四方の景色がそのまま目に飛び込んできて、道路から跳ね返ってくる日光の熱さや匂いを感じていると、自然と笑みがこぼれる。
まだしばらく乗っていたかったけれど、すぐに国境越えの関門が見えてきた。

目指すは遺跡の街・シェムリアップ。
あれ?ただ移動するのに、またたくさんの人たちが、目の前に・・・・・・

・・・・・・さぁ、ここまでがタイ、この一歩から、カンボジア。
あっさりと、歩いて国境を越えた。
隣の“商売上手な”青年にとっては、さしずめ日々のルーティンワークだろう。
傾きかけた午後の太陽を気にしながら、長距離を進むタクシーでシェムリアップに着いたら、あまりにもスムーズに、待ち構えていたトゥクトゥクに身柄を引き渡された。
「カンボジアに最近、日本人少ないよ」と人懐っこいガイドらしき青年は、「日本大好き」と言っていたが、料金交渉になると「うーん、日本語よくわからない」と言い出す。
時間と安全をトータルで考え、“彼の商売に協力しつつ、そのかわり、シンプルで希望どおりの、不可能を可能にするルート”を叶えてもらいましょう。
ガイドは下車し、運転と案内を一挙に引き受けてくれるのは、弟分の少年だった。

そしていま、アンコールワットとさらにアンコールトムまで巡った私を乗せて、少年のトゥクトゥクが、シェムリアップ空港へ向けて疾走している。
夕焼けが高速で頬をかすめ、吹っ飛んでいった

ゼロ泊のカンボジア滞在。
このJapanese、なにをそんなに急ぐのだろう。彼は不思議に思っていたかもしれない。
でも、私の乗る便に間に合うように、ちゃんと空港へ届けてくれた。
降りるとき、これは、兄貴分ではなく、あなたのだから。と、御礼を渡す。
でもそんなことでは、初めてのアジア旅のラストでどんなに心強かったか、伝えきれない。
この少年にとっては、この土地で暮らしているけれど、毎日色んな人を乗せて、自分の街だけれど、私たち旅行者が、目の前を通り過ぎていく景色のように見えているのかもしれない。

歩いて国境を越えたとき、何も起こらなかった。
でも、もし、移動ではなく、これからここに住む、という覚悟をもって来ていたとしたら。
もっと知ろうとしたにちがいない。望まなくても全身が研ぎ澄まされ、今まで居た場所とは全くちがう、と即座に気づくだろう。
暮らすように旅をしたい、といつも思ってきたけれど、心象風景は全く異なる。

でもそうすると今度は、“移動”は目的への単なる通過点になる。
あの車窓から見た兄弟も、乗らなかったバイクの運転手も、今日一日の移動で出会った数え切れない人たちも、たちまち「同胞」になり、私も同化しなければ、と思うのだろう。

だから、移動の連鎖の旅だとしても、海を越えて自分の住む街へ帰ったときに、彼らが蘇り、日常が思いもよらない角度から色づいていくのなら、現地で通り過ぎた風景がつながっているのなら。それは、海を隔てていても、なんとしなやかな陸続きであろう。

「わけわかんないよ!」と見知らぬ地で思わずお互い言ってしまうとき、旅がまた始まる。

#旅日記 #随想 #紀行エッセイ #小説 #散文

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