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ミスチルファンが語る「光の射す方へ」歌詞のスゴさ

今更ながらミスチルの「光の射す方へ」にはまっている。
この曲はここ2年くらいで能動的に聴くことが異常に増えた。

文字を書く機会が増え、文字での表現力をつけようと気にするようになったからであろうか、
最近桜井さんの歌詞に対するこだわり?が少しわかるようになってきた(ような気がする)

あくまでも個人的解釈(+今までの先人の方々のまとめ)なので、
「解説!ミスチル「光の射す方へ」に込められた思いは?意味は?」
みたいな自信のある題名で大々的に投稿する気持ちはさらさらない。
この記事で、「今まで歌詞に注目してなかった方」がミスチルをさらに好きになってくれればなぁ…
くらいの軽い気持ちでまとめてみた。

まずは冒頭

蜘蛛の巣の様な高速の上
目的地へ5km 渋滞は続いてる
最近エアコンがいかれてきてる
ポンコツに座って 心拍数が増えた

最初の1文
「蜘蛛の巣の様な高速の上」

もうね。これだけで軽くどんぶり5杯はいける。
もしくはこれをツマミに三日三晩酒を飲める。

だって高速を蜘蛛の巣に例えているんだよ??こんな表現考えつくのか!?

きっと蜘蛛の巣=首都高のことで、文字通り蜘蛛の巣状に敷かれた首都高で
渋滞にはまっている様子を描いている。
しかも、蜘蛛の巣というワードを用いることで、
まるで「蜘蛛の巣にひっかかった虫がその場から動けない」ことを
渋滞にひっかかった自分(=弱者)と結び付けている。

最近エアコンがいかれてきてるポンコツに座って 心拍数が増えた

最近エアコンがいかれてきてるポンコツとは車のことで、
心拍数が増えるとは、ポンコツに対する苛立ちや、渋滞に対しての苛立ち、
日常の切迫感に対しての苛立ち全ての苛立ちを表現しているように思う。
あと、ポンコツのエンジン音も「心拍数」と相性がよいよね。

社会人になって 重荷を背負って 思い知らされてらぁ
母親がいつか愚痴る様に言った
「夏休みのある小学校時代に帰りたい」

ここで初めて主人公の身分があかされる。
主人公は社会人で、仕事に対する責任感などなんらかの重荷を背負っている。
目標に対してうまく近づけない歯がゆさみたいなものも表現している。
これはさっきの「渋滞にひっかかる→目的地に辿りつかない」ことも重ねていると思う。
そしてふとよぎる、母が言った「夏休みのある小学校時代に帰りたい」

このパワーワードよ…

インパクトがすぎょい。ここにこの曲のエッセンスがつまっていると思う。
まず、「自分が小学校時代に帰りたいと思う」のではなく、
母がそう言ったのを思いだすことでより鮮明に情景が浮かび上がる。

自分がまだ子供だったころ。
その頃は「夏休み」がくることなんて当たり前だった。
そして小学生にとって夏休みとは人生の目標であり、ゴールである。
そのゴールは毎日普通に過ごしていれば勝手にやってくる。

それに対し、現実のゴールはいくら追いかけてもまったく辿り着かない。
目的地もなかなかつかないし、エアコンまでうまく稼働しない!!
あああああもうイラつくぜえ!!!!
ってな感じかな?

夕食に誘った女の
笑顔が下品で 酔いばかり回った
身振り手振りが大袈裟で
東洋人の顔して 西洋人のふりしてる


ここで場面がまた切替わる。
「夕食に誘った女」との話だ。
「誘った」との記述から、自分から求めて誘ったことが分かる。
ここでのゴールは恐らく「一夜を共にする」こと。

しかし、実際女と深く話してみると「笑顔が下品」で「身振り手振り」が大袈裟。
自分の求めた姿ではないと感じてしまった。
「酔いばかり回った」というのは、女とのコミュニケーションに嫌気がさしてしまって
酒ばかり飲んでしまったからであろうか。

ストッキングを取って すっぽんぽんにしちゃえば
同じもんがついてんだ
面倒くさくなって 送るのもよして
独りきり情熱を振り回す バッティングセンター

ここは色々な解釈があって、
「同じもんがついてんだ」を男性器と捉え、女ではなくて男だった説などがあるけれど、
僕は違うと思う。

ここで言う「同じもん」とは、衣服を剥ぎ取った先の裸体をいっていると思う。
では、何と何が同じもんをつけているのか?
おそらく「東洋人」と「西洋人のふりした東洋人」であろう。
いくら「身振り手振り」が大袈裟で取り繕っても、中身(生まれ持ったもの)は変わらない
ということかと。そしてそんな女性への興味はうすれてしまった。

面倒くさくなって 送るのもよして
独りきり情熱を振り回す バッティングセンター

当初の目的だった「一夜を共にする」のはもはや面倒。
女を家へ送り届けるのも止めて、独りバッティングセンターで発散する…
というのが通常の解釈だろうが、違う意味もこめていると思う。

バッティングセンターは恐らく自慰行為であろう。
情熱を捧げるはずだった女はもういない。
行き場のない情熱を「独りきり」で発散させる。
バットはもちろん自分自身のことである。

ここではかなり過激な表現ではあるが、
最初の渋滞に巻き込まれた場面と共通して
「目標・ゴール(光の射す方)に対してうまくいかない歯がゆさ」が込められている。

僕らは夢見たあげく 彷徨って
空振りしては骨折って リハビリしてんだ wow wow
いつの日か 君に届くならいいな
心につけたプロペラ 時空を越えて 光の射す方へ

ついにきましたサビ。
サビ全体としては
夢と現実のギャップ→少しでも良い方へという願いが込められていると思う。

さらに
空振り→失敗の象徴。さきほどバッティングセンターという言葉がでてきているので、関連度高いワードチョイス
骨折って→萎えることも暗示しているかも
リハビリ→自慰行為
という、先ほどと言葉を入れ替えても意味が通じるように構成されている。

いつの日か 君に届くならいいな
心につけたプロペラ 時空を越えて 光の射す方へ

ここにきていきなりでてくる「君」
これはAメロででてきた女と区別するべきであろう。
性の対象として表現された「女」に対し、
「君」は目標・ゴールの象徴のように思える。
そして君に届かせたいのは何か
普通に考えたら「思い」とかだろう。
恐らくバットのことなんではないか…と僕は思ってる。
光の「射す」方だし。

「電話してから来てちょうだい」って
なれた言い回しで 合い鍵をくれんだ
マスコミが恐いから 結局は
貯金箱の中にそいつをしまった

2番になり、また場面が変わる。
合い鍵をくれるほど親密になった女性とのやりとりから始まる。
この女性は1番でかかれている「女」とは違う。
さらに、
男を家に招き入れる口調を「慣れている」と感じていることや、
合い鍵を「そいつ」と呼んでいること、
そしてなにより、この関係に後ろめたい理由があり
マスコミ(世間)にばれることが何より怖いことから、
サビで描かれた「君(ゴール)」とも違うことが分かる。

でもね。合い鍵は捨てることをしていないし、受取拒否もしないんだよね。
なかなか取り出せないけど、いざとなったら手を出せる象徴としての「貯金箱」に「そいつ」をしまうあたり、肉欲を捨てきれない葛藤も描いている。

誰を信用して 何に奮闘して この先歩けばいい?
デキレースでもって 勝敗がついたって
拍手を送るべき ウィナーは存在しない

ここからわかるのは、桜井さんが
「デキレースで負けた経験」があるということだろう。
おそらく奮闘して目標としていたものを得たように感じたが、
実はデキレースで、もともと勝者が決まっていた。
そんな勝者は本当のウィナーではなく拍手を送るべき存在ではない。
この体験が何のことを言っているのかは桜井さんしか分からない。
もし知ってたら誰か教えて下さいな。

〈追記〉
友達がこの部分に関してアンサー記事を書いてくれました!!
桜井さんはデキレースで負けたのではなく、デキレースで勝った経験があるのでは?というめちゃくちゃ面白い考察です!
記事下にリンク張るのでぜひご覧ください!!

僕らは夢見るあまり 彷徨って
大海原で漂って さぶいぼたてんだ
もっとこの僕を愛して欲しいんだ
月夜に歌う虫けら
羽を開いて 光の射す方へ

2番サビ
1番サビでは夢見た「あげく」だったところを、
2番では夢見る「あまり」に言い換えている。
さぶいぼは鳥肌のことで、大海原→寒い→鳥肌がたつという連想からきているだろう。

月夜に歌う虫けらはおそらく桜井さん自身のことだろう。
(ほらふきに毛の生えたにわか詩人と同義かな)
拡大解釈すると、
序盤にでてきた蜘蛛の巣に捕らわれていた自分自身(虫)とつながっているかもしれない。
また、虫は光に寄っていく習性があるので、羽を広げて光に向かっていく虫を目標へ進んでいく象徴として捉えているのだろう。

散らかってる点を拾い集めて 真直ぐな線で結ぶ
闇を裂いて 海を泳ぎ渡って 風となり大地を這う
限りあるまたとない永遠を渡って
最短距離で駆け抜けるよ 光の射す方へ

Cメロ部分は雰囲気がガラリと変わる。
AメロBメロの具体的さと対照的にCメロは抽象的表現で構成されている。

散らかってる点を拾い集めて 真直ぐな線で結ぶ
点の集合体は線。点を拾い集め線で結んだ先に見えるのはゴールだろう。
散らかってる点を拾い集める行為は日々の努力かな。

ここででてくる存在は全てが大きい
「闇」「海」「大地」「永遠」
点を拾い集めることによってできた線でこれらを
最短距離で光の射す方へ駆け抜けていく…そんなイメージだと思う。

「かぎりある」と「またとない」は同じようなニュアンス
(「ある」と「ない」が対義語なのにね)
これらがかかる言葉は真逆の意味の「永遠」。
桜井さんの言葉遊びのスゴさが目立つ。

終わりなき永遠の先にゴールがあるけれど、
「かぎりある」と「またとない」をつなげることで
「いつか辿り着ける」というニュアンスを生んでるのかと。

僕らは夢見たあげく 彷徨って
空振りしては骨折って リハビリしてんだ wow wow
いつの日か 君に届くならいいな
心につけたプロペラ 時空を越えて 光の射す方へ
僕らは夢見るあまり 彷徨って
大海原で漂って さぶいぼたてんだ wow wow
もっとこの僕を愛して欲しいんだ
月夜に歌う虫けら 羽を開いて 光の射す方へ

ラストのサビは1番と2番のサビと同じ。
どちらも言い換えなく同内容だけれど、
バックコーラスで「光の射す方へ jump up to brighter(かな?)」と繰り返し流れている。
こうすることで、「目標は遠くないぞ」というポジティブな
ニュアンスをだしているんじゃないかと思っている。

以上。
軽い気持ちで書いてたはずが超大作みたいになってしまった…
もちろん様々な解釈があるから、ファンの個人的な解釈として捉えてくれればありがたいなあ。

上記を踏まえたうえでこのyoutube(公式)をぜひ見てくれ

しびれるよね?

〈リンク〉
友達のバティ(ブログ名:にわかじこみの一般人。)が書いてくれたアンサー記事です。
👇僕とはまた違った視点で書かれているので、ミスチルファン必見です!👇

【Mr.Children】ミスチルファンが語る「光の射す方へ」〜デキレースの勝者は誰か〜

#ミスチル #歌詞分析 #光の射す方へ

*本記事に出てくる歌詞は
Mr.Children「光の射す方へ」作詞・作曲: 桜井和寿
を引用しています。

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