家族でポケカー少年は世界へー

    今回は一人の少年がいろいろな人びとの協力や自分の力で世界大会の権利を得て実際に異国の地で対戦をした記録を、ゆうケンパパさん、ママさんの協力のもと息子さんのユウタロウ君の記事を書くことにしました。何か親子プレイヤーの方へ参考になれば嬉しいです。

    前回、世界大会の権利を獲得するところまでを伺って記事にしました。

    https://note.com/minami_773/n/n8e3241974d12

    ですので今日の記事は世界大会の権利を得てから、渡航し、帰国した後までを基盤にすすめていきます。


     

    既に2019年度の国内ポケカではポイント制が当たり前のようになりつつありました。


    世界大会にいくことになるこの年、主な結果は、シティリーグシーズン2準優勝、cl新潟top16、jcs top8 でした。シティリーグ、そして新潟ではジラサン+ライコウを、jcsではルガゾロ+ユキメノコを使用しました。

    ランキングが固まって、上位が確定した6月以降、家族で真っ先に行ったことはカスタムキャッチャーを集めることでした。というのも、世界大会は国内のレギュレーションとは使用できるカードに違いがありました。相手の場にあるポケモンをバトル場に呼び出すにはカスタムキャッチャーを用いる必要性が高かったのでした。その事からデッキをつくるにあたって家族でカスタムキャッチャーを集めたそうです。

    しかし、世界大会の環境についてはわからない手探りの状態。そんな中で世界勢の関西シニアを中心にした合宿があったそうで、そこで世界大会で使用するデッキを決めることが出来ました。彼が世界大会で使用するデッキになるのがズガドーンアーゴヨンの組み合わせ。はたして当日はどのような結果になるのでしょうか?


    権利が確定したあと、プレイヤーのユウタロウ君を家族もサポートします。世界大会に参加するにあたって規約を知らないといけません。英語でかかれた文章を和訳したり、TAを得ての参加ではなかったことから飛行機やホテルの手配も行わなければなりません。ここでも人との繋がりが力を発揮します。英文和訳に関しても、もろもろの手配に関してもたくさん助けてもらったそうです。宿に関しては招待選手の泊まる宿と同じにしたそうです。

    持ち込む食品に関しても注意が必要です。例としてはカップラーメンに入っている肉が対象のようで、内容物に肉の記載がないものを買って備えたそうです。

 ほかにも、世界大会自体細かな規定が存在します。そのためにさいころも新しく揃えました。

 そして開催地であるワシントンに向かう日がやってきました。

    飛行機に乗るとその便にはポケカプレイヤーが多く搭乗していたそうです。隣の席になったポケカプレイヤー同士で座席にそなえつけられた机を使い工夫して対戦をしていたそうです。

 現地についたのは開会式の前々日。taを取得した選手が宿泊するホテルのラウンジではトレードが行われていました。時差ボケもなく、トレードを積極的に行うユウタロウ君。英語や身振りを駆使しこなしたそうです。

 観光では、ホワイトハウスや、現地の方にお勧めされたレストランでみんな揃ってディナーを楽しんだのでした。

 就寝前、念入りに一人回しを行い、次の日に来る戦いに備えます。

 戦いの朝がやってきました。朝食をとり、会場へ向かいます。

 世界大会は、bo3でなおかつ複数回ラウンドを戦わなければいけません。

 昼食は会場から出られないこともあり、手軽に済ませました。

 長い一日を終えday1の結果は、、、


 ユウタロウ君を含め多くの日本人シニアはday1を突破しました。

 

 ちなみに大会期間中にポケモンセンターの出張ブースがあります。この年は化石ポケモンがタイアップされていたそうでそう言った商品が並んでいたそうです。


 day1終了後の夜、ピカゼクデッキに多く負けていたことが気になります。結果的に彼の中で帰国後気づきがありました。組んでもらった際の元々のレシピから少し変更をして世界大会に臨みました。変更を施した部分のカードこそが対ピカゼクにおいて重要な差し札になっていたのでした。このことを振り返って、デッキの理解度が足りなかったことを反省点として自分自身の中でとどめているそうです。

 day1の最中、彼は両親も驚く成長を見せたようです。何があったのかというと対戦の際毎回のように、ヒードランGXのテキストを確認するためにジャッジを呼ばれていました。しかし、大会中、日本語を介するには日本語に対応したジャッジサイドのスタッフが必要になります。まず、日本語に対応しているスタッフの人数がとても少ない。なので呼び出すまでに時間がかなり取られることになります。そこでday1の途中から自ら前もって英語を話すスタッフの持つタブレットを用いて表示するようにしたのでした。

 異国の地で、自分の中でうまく戦っていくことはおおきな成長ですね。

 day2。この日は振るいませんでした。それでも周囲からの励ましもあり、最終戦まで戦い抜きました。これには大きな意味があります。最終戦まで戦うことで、自分が世界大会に参加したことを示す、最終順位が得れるのです。こうして初の海外挑戦は66位でフィニッシュ。招待選手よりも1日早い帰国便に乗り家族の待つ自宅へ。

 帰宅後感想として、とても楽しかったこと、また行きたい!と言いました。

 実は、私の周りの世界大会経験者も、みんな口をそろえて一度世界大会に行くとまた行きたくなるという言葉を言われます。それぐらい、お祭りなのが世界大会なのです。

 

 2019年を振り返って、ユウタロウ君は世界大会の挑戦権を得たプレイヤーです。でも両親から見てシニアでとびぬけて強いという感じはなかったそうです。彼が手ごたえを感じたのは合宿に参加したことからでした。それくらい大きな合宿になったのです。とことんポケカに向き合いました。このころのお子さんを見ていたゆうケンパパさん、ママさんは本当にデッキをずっと回していたことを振り返っています。世界大会の権利を得てから当日まで本当にひたむきに向き合っていたそうです。そういった姿勢が大切なことなのかもしれませんね。


 今回は、一人の少年が世界大会に参加する前後の話をまとめました。

 世界大会に参加するにあたって、プレイヤー本人だけでなく、周りの協力もとても大切なことなのですね。私自身も向き合い方に関してはもっと早くに聞いておけばと思いました。

 今回の記事を持って私はポケカから離れます。多くのことをポケカを通して学びました。競技者として10年を超える期間、プレイヤーでいられたのは素晴らしい方々と巡り会えたからでした。

 この記事が家族でポケカをされている方の何か力になれれば幸いです。

 それではさようなら。

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