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【凪〜nagi〜】第5話

登場人物
◆七生(なお)…小学校の新人女性教師
◆陵(りょう)…七生が勤める小学校の男性先輩教師

二人の過去が交差する

七生は、陵という生まれて初めて、自分のそのままを見せられる相手に出会えた喜びからこみ上げてくる嬉し涙をひとしきり流し切った、と同時に、周りに人がいるレストランで号泣し、七生を泣かしたのは自分だと勘違いして、明らかにうろたえている陵に気が付き、恥ずかしさと申し訳なさで顔が真っ赤になった。

七生は、消え入りそうな小さな声で
「あの、急に泣き出してしまって本当にすみません。。理由は、あとでお話ししますので、とりあえずお店を出ましょうか。。」と言った。

それを聞いた陵は、内心まだ動揺しながらも
「そうですね。。外の空気を吸ったら、気持ちが落ち着くかもしれませんし。。」とまるで自分に言い聞かせるように言った。

周りの客や店員からの視線を感じながら、二人は席を立ち、そそくさと割り勘で会計を済まして、店の外に出た。

店の外に出るや、七生は
「恥ずかしい思いをさせてしまって、本当にすみませんでした!」と、深々と頭を下げた。

自分が七生を泣かしてしまったと、まだ勘違いしている陵は
「いやいや、心ない言葉を言ってしまったみたいで、こちらが謝る方です!本当にすみませんでした。。」

それを聞いた七生は、すぐに頭を上げて
「泣いてしまったのは、すごく嬉しかったからなんです!」と言って、今まで、冷え切った家庭環境で育ってきたことや、陵の話を聞いて、自分が絵を描くことが好きだったことを思い出すことができたこと、そして何より、本当の気持ちを言える人が今まで周りにいなかったが、陵に対しては、そのままの自分で話ができること、そんな人に出会えたことが、すごく嬉しくて気付いたら泣いてしまっていたことを一生懸命に陵に伝えた。

七生の思いを聞いた陵は、胸が締め付けられるように感じた。


陵は、ハードワーク気味なサラリーマンの父と、専業主婦の母と、5つ違いの姉のいる、ごく平均的な家庭で育った。

小さい頃から、負けん気が強かった陵は、勉強も運動もクラスで一番でないと気が済まない性格だったので、ひたすらに他の同級生よりも上を目指そうとずっと努力し続けてきた。

父も母も、活発で勉強と運動の両方ともよくできる陵を、人並みの成績と人並み以下の運動神経を持つ、のんびり屋な5つ違いの姉よりも、ずっとたくさん褒めて、将来を期待して育ててくれた。

だから、ずっと姉のことは「努力しないぐうたらな至らない姉」として少しだけ見下してきた。

母は、まるで陵だけが私の全てと言わんばかりに、陵に固執し、陵の生活を完璧なものにしようとした。

陵の学校終わりの時間になると、正門の前に、車で迎えにきた母がいつも待っていて、平日の週三回は、トップリーグが運営するサッカーグラウンドに車で片道30分掛けて連れて行ってくれて、週二回は駅前の進学塾に連れて行ってくれた。
もちろん、友達と放課後遊んだ記憶は、ほとんどない。

サッカーの練習と塾が終わるまで、いつも母は車の中で待っていて、練習や塾が終わって帰宅すると、家庭科の教科書に出てくるような栄養バランスが整った夕飯を温め直して、すぐに出してくれた。

夕食後、遅くまで勉強をした陵が、お風呂に入って、ベッドで横になるまで、母は決して陵より先に眠ることはなかった。

家の中は、常に塵一つないほどに綺麗に掃除が行き届き、服はきちんと畳まれて、整然と並べられ、布団はいつもお日様の匂いがしていた。

一生懸命、自分のために尽くしてくれる母に感謝はしていたが、陵の目には、仕事が忙しく、毎夜、時計の針が午前を回るまで帰ってこない父への当て付けのように思えてならなかった。

家庭を顧みないあなたの代わりに、私はこんなにも一生懸命に、家事と子育てをこなしているのよ!と声なき態度で主張しているかのようだった。

そんな母の監視が陵に集中する横で、姉は、のほほんと自分が好きな時間とペースでご飯を食べ、のびのびと好きなことをしたり、テレビを見たりして、一日を終えているようだった。

開放的に生きている姉のことが、本当はずっと羨ましかった。
でも自分は、人一倍頑張り屋さんな良い子を続けることしか選択肢がなかったのだ。
勉強もサッカーもやめる、と言ったら、母が壊れてしまうような気がしていた。

陵は、3歳から高校を卒業するまで、ずっと同じクラブチームでサッカーを続けてきた。
15年間サッカーを続けてこられたのは、母の支えはもちろんだが、何よりも、そのサッカーのクラブチームコーチたちの生徒の導き方が、素晴らしかったからなのだ。

コーチたちは、いつも生徒が自主的に考え、行動するように指導してくれて、生徒の個性や良いところを尊重し、伸ばそうとしてくれていた。
コーチたちは、生徒がサッカーを通して、仲間との絆を深める大切さに気がつくことや、人間的成長ができることを目指して、指導し続けてくれたのだった。

特にヤンチャ盛りで、大人の言うことを全く聞かない小学生の頃の自分を、根気よく諭してくれたコーチの言葉が今でも忘れられない。

負けん気だけは人一倍強い自分が、なかなかドリブルが上達せず、周りの同年代の生徒にすぐに追い抜かれて、ボールを取られ、ゴールを決められていた時のこと。

ある時、どうしようもなく悔しくて、自分がさっきまで履いていたサッカーシューズを脱いで、ピッチに何度も何度も叩きつけた。

その様子を見ていた、一人のコーチが、そっと自分に近寄り、叩きつけているサッカーシューズを奪って、
「自分と一緒に戦ってくれている道具には、自分の魂が宿るんだよ。だから、丁寧に扱わなければいけない。丁寧に手入れして、いつもありがとうと話しかけていたら、いつか道具が味方してくれるようになるから、サッカーがうまくなりたいのだったら、まずは道具と心を通わせることをしてごらん。」と、奪ったサッカーシューズを静かに返しながら言った。

どうしてもうまくなりたかった小学生の陵は、その日以来、練習の後には、必ずその日使った、サッカーシューズとサッカーボールを丁寧に磨くようにした。

周りの友達に、道具に対してありがとうと、言っているのがバレると恥ずかしいから、心の中で、何回もありがとうと言いながら磨いた。

すると、不思議と気持ちが落ち着いてきて、今日いくら練習しても、うまくいかなかったことの原因が、なぜなのかを思いつくようになってきた。
そうして分かった原因の一つ一つを自分なりに少しずつ改善していったら、いつしか小学生のメンバーの中で、誰よりも早く正確なドリブルが繰り出せるようになっていた。

そうやって、一見サッカーと関係がないように思えることと結びつけて、生徒が自らの力で成長できるように、いつも導いてもらった。

だから陵は、高校3年生の時に、自分が15年間のサッカー人生を通して学んだ人生で大切なことを、今度は自分が教育者という立場になって、子どもたちに教えていきたいと強く思ったのと、自分は、友達とほとんど遊んだ記憶がないので、小学校教諭になることで、子どもの頃にやり残した友達との思い出作りという追体験を、子どもたちを通して感じ取りたかった。
だから、小学校教諭免許状を取ることができる大学に進学したのだった。

七生が、今まで誰にも自分の本当の気持ちを言えずに過ごしてきたことに比べて、自分は、父と母との関係の微妙さや、母の監視、親の前で良い子を演じることはあったものの、基本的には褒められ、期待されて、大好きなサッカーを続けさせてもらいながら育ってきたので、七生と比べたら、なんと恵まれた環境で育ってきたのだろうと、改めて思った。

でも、七生がずっと自らを押し殺して生きてきたとしても、さっき一緒に自転車を走らせた時の公園の美しい景色の中に溶けてしまいそうな、彼女の心からの楽しそうな笑顔は、本当の姿だと思った。

だから、どんなに過去に辛い目にあったとしても、誰にも彼女が持っている真の輝きを消すことなんて、どうしたってできないのだ。

そう思った時、陵は自分の心の奥の方で、
「守りたい。これからの彼女の未来を。」という声が聞こえた気がした。

守りたい?

誰を?

七生を?

こんなにも繊細で美しい人を?

誰が?

自分が?

なぜ?
どうして???


「彼女の深いところから湧き出ている純粋さに惹かれているから」
「彼女のこの先の未来をもう誰にも邪魔させたくないから」

「理由なんてどうでもいい!好きなだけなんだ」
「一緒にいたい!」

陵は、自分の心が大音量で叫んでいるのを、ただ静かに聴いていた。

==【凪〜nagi〜】第6話へ続く==

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